この一週間、卒園児からメッセージ受け取ることが続きました。ありがたいことです。
一つは小1女児、もう一つは大学一年の男子学生からのものです。
小1女児からは、たくさんの俳句を頂戴しました。
いい気もち 空のしたでね くもを見る
ホテルには プールとおんせん たのしいね
ふろ上がり いつもさっぱり おちゃだよね
あたらしい ダンスをするね なんだろう
ふじ山は 目で見るほうが きれいだね
よこはまで こころのしゃしん できました
いいけしき 夕やけいっぱい きれいだな
ずるすぎる めぐはたのしい ようちえん
1つ目の俳句は、本当にそういう気持ちが大事だな、とあらためて思いました。マスクをはずし、青空の下で深呼吸をしたい、という私たち全員の気持ちを見事に代弁してくれています。
「よこはまで」の一句はJR東海が使ってもおかしくない見事なPR文ですね。
来年、再来年と学年が上がると、読み書きできる漢字も増えていくのでしょう。言葉をたくさん学び、表現も豊かになるでしょう。でも、心の根っこは大人も子どもも変わらないのだろう、そしてその気持ちをいつまでも持ち続けてほしいな、ということを1つ目の「いい気持ち 空のしたでね くもを見る」から強く感じ取りました。
もう一つは二十歳の男子学生からのメッセージです。彼は、長い文章を書いてくれたなかで、幼稚園時代の思い出についてこうふれてくれました。
些細なことですが、私が「時計の分針が動く瞬間を見たことがない」といったことを申し上げたのに対し、「それを見ることが出来たらその日は幸せになるね」とお応えくださったことを覚えています。
この言葉から、年長男児だった彼の「モノを真剣に見つめるまなざし」がありありと蘇りました。
互いにじかに会うことがかなわなくても、こうして言葉があれば一瞬で15年ほど前の記憶がよみがえります。
そのときの彼は私の言葉など耳に入らぬかのように、じっと時計を見つめるだけでしたが、無言の表情のうちに、これだけ長きにわたって保持される、思い出の種まきがなされるのですね。
今彼と面と向かえば、「あれは一期一会の瞬間でしたね」など、いろいろ話を交わせることでしょう。
あわせて、今目の前にいるあどけない顔をした子どもたち、一人一人のことを思いました。
みな、心は大人と変わらない、たくさんのことを心で深く感じています。
ただ、表現する言葉をまだ十分知らないだけであり、その不足を補ってあまりあるだけの想像力を私たち大人が日々磨いておかないと、子どもたちと「心の対話」は難しい、そしてこの想像力はいくら磨いても磨きすぎということはない、ということをあらためて学んだ次第です。