夏休みになると子ども時代のことを思い出します。
私は幼稚園のころから中学に入るまで、レゴ(ブロック)で遊びました。
カチッとブロックとブロックが噛み合う感触は今も忘れません。
現代のレゴはプラモデルのように出来上がり予想図があるのでしょうか(ちらっと見た印象)。
私のもっていたレゴは祖父が北欧の土産に買ってきてくれたもので、白と赤の二色のみ、ブロックの形も2種類だけでした。
図鑑を見て、あれを作ろう、これを作ろうと自分の頭で設計し、ひたすら取り組んでいました。
三つ子の魂百までと言いますが、あれをああやればこうなるな、と見通しをたてて作業を進める手順の原体験はレゴで培ったという気はします。
現代のおもちゃについてあれこれ口出しする資格はありませんが、個人の感想をのべると、カプラもそうですが、素材はシンプルで、色もけばけばしくないのがよいと思います。
私はもう子どもではありませんが、子どもの感性に思いを馳せると、現代社会において、子どもたちが接する色や映像、刺激の類はややもすれば「過剰」ではないかという気がします。
集中して何かに取り組む前に、そうした刺激によって「疲れてしまう」のではないか、という一抹の危惧があります。杞憂だとよいのですが、子ども時代はできるだけ「薄味」(比喩)がベターだと私は常々思っています。
余白を残すことで、「自分でなんとかしよう」という意欲がわくでしょう。