昨日は俳句の時間がありました。つきぐみの部屋に行くと、物音ひとつしません。部屋にはいると、全員良い姿勢で静かに待っていました。黙想の時間も、今までで一番長く、そして落ち着いたものでした。
俳句の練習に入る前に、「今日は誰も部屋にいないのかと思ったよ」と言いました。そして、子どもたち全員をほめました。「今の気持ち、今の姿勢を忘れないでください。どこの小学校に行っても、今の気持ちでしっかり先生のお顔を見ることが出来たら、学校の勉強は絶対だいじょうぶ。これからもがんばろうね」。
静かにするときに静かにするということは簡単に見えて難しいことです。とりわけ、クラス単位で、または、この俳句の取り組みのように、学年単位で「全員が心を合わせて」静かにするというのは、今の時代にはとりわけ困難なことのように思われます。
小学校に上がる前に何が必要か?と言われ、私は心を落ち着けて、先生のお話をしっかり聞く態度を身につける、という一点だけで十分だと思います。
逆に、文字や数の知識については、手つかずのままでも絶対大丈夫です。先に「無理に」知識の授受に精を出すと、親子共々どこかで息切れする恐れがあり、それが先々心配です。
食事はどうでしょうか?夕方におやつを食べ過ぎると晩ご飯にさわります。たっぷり運動し、おなかをすかせたらどうでしょうか?
晩ご飯を前にして、しっかり食べようという気持ちになるのはどちらか?という問題と同じです。
幼稚園時代は、友だちといっぱい遊ぶこと、遊び込むことが何より大切です。
この日は、その後、全員で声を合わせて蕪村の俳句を繰り返し声に出しました。お山が動き出しそうなほど、大きな声でした。「静と動」、どちらも大切ですね。
クラス、学年として落ち着いて静かにできるほど、全員の合唱は大きく力強いものとなります。
その後、個々に手を挙げてもらい、全員の前で発表してもらいました。遠慮や照れのため、まだ発表しないお子さんもいます。
この日の最後に言いました。
「発表できる人、していない人。どちらも発表『できる』人です。最初に言ったように、全員先生の顔を真剣に見て、しっかり練習できているからです。だから、全員○(まる)です。
逆に、先生がだいじょうぶかな?と心配する人はどういう人かを言います。先生がみんなにお話しをしているのに、よそ見をしている人。隣のおともだちとぺちゃぺちゃおしゃべりをしている人。
この中に、そういう人はいますか?だれもいませんね。だから、先生は、みんなに「しっかり先生のお顔を見てお話を聞くこと」が一番大事で、それができているみんなは全員発表が『できる』人だと言ったのです。」
この日は以上のようなやりとりをしました。