三学期最初の俳句でした。今日は新しい俳句を紹介する日です。一茶の俳句を紹介しました。
全体で3回繰り返し、内容の説明を簡単にした上で、さらに一回。続いて、4列並んでいる列ごとに復唱してもらいました。そして、さらに男の子だけ、女の子だけで復唱した上、全体でもう一度繰り返しました。
そこで少しお話をしました。「もうしっかり頭に入りましたね。でも、先生がこの俳句を紹介するまでは誰も覚えていなかったですし、誰も発表できる人もいませんでした。当たりまえですね。
一人一人が自分の耳でしっかりと園長先生の言う言葉を聞いて繰り返し練習したからできるようになったのです。よそ見をしていたら、いくらこの場にいても、覚えられません。
「よい姿勢で繰り返し練習する」。これができれば何でもできます。
三学期は劇をします。どんな役になるかはわかりません。練習しなければ劇は難しいです。練習すれば劇は楽しいです。どんな台詞も、練習しないで覚えることはできません。練習を繰り返せば、覚えられないせりふはありません。今日集まったみんななら必ず立派にできると先生は信じています。」
小学校に入ってから、今やっている俳句の取り組み、劇の取り組みは大きな自信につながるはずです。
小学校以上の教育において、もっとも問われるのは「今どれだけのことを知っているか」ではなく、「どのような姿勢で学ぼうとするのか」という点です。
ご飯前には、腹を空かせた方がよい、ということは常識です。勉強に関して言えば、どうしてもフライングしてしまいがちです。子どもの好奇心を抑えきれないため、また、最近は情報が過剰にあふれているゆえ、フライングそのものを止める方が難しい時代ではありますが、だからこそ、親は「腹八分目」を心に刻むくらいでちょうどです。
伸びきった糸は切れます。余裕を残した子どもは、尻上がりに好奇心が輝いていきます。
大学入試が人生のピークでは困るわけです。答えを覚えるだけで大学には行けます。それでよいのでしょうか。答えのない疑問を大切にした人が、大人になっても子どもの心を忘れない大人になります。
インターネットの発達が皮肉にも、「正解」なら瞬時に手に入る時代を作りました。知識をひけらかす時代ではないわけです。ブロックを組み立てるように、知識と知識を組み合わせ、新しい価値を生み出せる人、新しい見識を示すことの出来る人、そういうクリエイティブな人こそ、これからの世の中がますます必要とするでしょう。
機械的な暗記に終始するのも一つの道です。しかし、機械的ということは、機械にはかなわないということです。人間的な学びとはどういうものなのか?世の中の「常識」にとらわれず、子どもの寝顔を見ながら熟慮することで、ヒントが得られるように思います。
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