古いローマの時代に大事にされた2つの価値観があります。
美徳(ウィルトゥス)と敬虔(ピエタス)です。
前者が父性(paternity)、後者が母性(maternity)に対応すると思われます。
そういうとちょっといぶかしく思われるかもしれません。
美徳と訳されるウィルトゥスは英語のvirtueの語源ですが、元は「男らしさ」を意味しました。vir(ウィル)は英語のmanを意味します。
ウィルトゥスには元来「勇気」という意味があります。
ピエタスは英語のpiety(敬虔)の語源です。元来、人が人として大切に守ってきた道(親子、兄弟、世の人々との人間関係)を大切に守ることを意味しています。
わかりやすくいえば、優しさと勇気。
教育に大切な2つの価値だと思われます。
自信と勇気をもって困難に挑戦しそれを乗り越える態度、さらに、人には優しく思いやりの心をもって接すること。
今日は父の日ということで、それに引き寄せた話をしますと、勇気が父性、優しさが母性にかかわると思う人が多いと予想されます。
しかし、男性は父性のみでできている、女性は母性のみでできている(あるいはその逆)と考えることが間違いであるように、子どもたちもそれは同様です(男の子は父性、女の子は母性を育む、あるいはその逆云々)。
昔の映画のコピーに、「男は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」というのがありました。
オリジナルはレイモンド・チャンドラーの名言です。
映画のコピーの主語は「男は」でしたが、チャンドラーの文の主語は「私は」となっています。一方、この名言の主語を広く「人間は」と受け取るべきである、というのが私の考えです。
父性がなければ生きていけず、母性がなくては生きる資格がない、ともとれます。
つまり、老若男女問わず、人間は父性と母性の両方を大事にすべき、ということです。誰にだって優しさと勇気は必要だというしごく当たり前の話です。
今日は父の日です。といって、父親がことさらに家の中で父性を強調する必要はなく、もしかするとその逆で、母性が足りないのではないかと考える日にしてもらってもよいかもしれません。
世の中広く見渡せば、父、母どちらかだけで子育てに励んでおられる方も少なくありません。
父だけであれ、母だけであれ、我が身を振り返り、父性と母性のバランスがとれているかぎり、子どももバランスがとれた形で育つと思います。