年中児の二人につないでもらおうと、年少児のAちゃんを間にはさみます。でも、Aちゃんの両手はげんこつのグーのまま。年中児のBちゃん、Cちゃんもだんだんしびれを切らせます。
こういうとき、私はあまり無理をしません。書くとややこしいのですが、私の左手でBちゃんの左手とAちゃんの右手を、また、右手でAちゃんの左手とCちゃんの右手を包むようにして握ります。
これは時間稼ぎで解決にはならないのですが、しばらくこうして様子を見ます。あれこれたわいのない話をしているうちに、気づくと3人が手をつないでいるという展開もありますし、いつまでたってもらちがあかないこともあります。
今朝は、「どうしておててをつながないの?」と単刀直入にAちゃんに聞きました。すると、「ママにあいたいってここに書いて」と言いました。ああ、そうだった、そういうことがあったな、と思い出しました。以前Aちゃんが別れ際に大泣きし、私が抱っこして連れてくるようなとき、何度もなきじゃくりながら「ママがいい。ママにあいたい」と言うので、「よし、おててをだしてごらん。『ママがいい。ママにあいたい』って書いてあげるから」といって、指で手のひらにそう書いたことがありました。
今朝本人の希望により、再び手のひらに「ママに会いたい」と書きました。両横のお兄さんたちものぞき込みます。最後まで書き終えたとき、Aちゃんはにっこり笑い、なんとグーだった手がパーに変わりました。こうして何事もなかったかのように、三人仲良く手をつなぎ、歩くことができました。
今の話で私が大事だと思うことは、Bちゃん、Cちゃんの気持ちです。せっかくつなごうと思っているのに、グーのままでつなげないことは、いくら年上だと言え、自分がいやがられているのではないかという意識に導きます。
Aちゃんが自分の口でつながない理由を言ってくれたので、二人の共感も呼びました。その証拠に、Aちゃんの手のひらに字を書いた次に、Bちゃん、Cちゃんにも「二人にも何かおててに書いてあげようか?」と尋ねたとき、二人は異口同音に「『Aちゃんとおててがつなぎたい』って書いて」と言いました。