先日の父親参観でお話しした内容について、その導入部分の原稿を以下にお示しします。
私は幼稚園も含め、学校で子どもたちが学ぶことの大事さもさることながら、ご家庭で保護者がはぐくまれる子どもたちの「まごころ」は、それ以上に大切なことだと申し上げたかったことであります。その鍵を握るのが家のお父さんであり、子どもたちが一番ほしいと思っているものは、「まごころをもって接してほしい」という一点です。
最後に「紙のボールのキャッチボール」や「絵本の読み聞かせ」のお話をさせていただいたのは、「父親のまごころ」を伝える有効な方法としてでありますが、本当に大切なことは、出張や残業などで子どもと接する時間がとれなくても、心の中で子どもの笑顔を思い出すことだと思います。
母親と違って時間的にも空間的にも子どもとは一定の距離感が保たれるので、「思い出す」ということが重要です(お母さんも、子どもが幼稚園に行っている間、静かに子どもの写真を眺めるなどが有効です。言わずにいたこと、言い過ぎたこと、など心で整理できるでしょう)。
以下、原稿の引用です。
おはようございます。
本日はお休みの日ですが、父親参観にお足運び頂き、まことに有り難うございました。また、お父様のご都合がつかれないなどで、代わりにご参加下さいましたご家族の皆様にも感謝申し上げます。
さて、今から少しばかり時間をいただき、本園の日頃の取り組みをご紹介しながら、ご家庭での教育のあり方について、日頃感じておりますことをお話しさせていただきたいと大見ます。
本園は今年で創立60年を迎えますが、創立当初より、歩いての送り迎えを実践してまいりました。子どもたちは手をつなぎ、毎朝山道を登ってきます。そこから一日の保育が始まります。
そこには様々な意味がこもっています。心の面ではくじけず、最後まであきらめない強い精神力が養われます。体の面では知らず知らずのうちに、足腰が鍛えられます。
ちなみに片道1キロの距離を3年間歩いたとしますと、卒園する頃には1500キロ歩いたことになります。また、これに加えてお山の石段は200段ほどあります。海抜100メートルと言われますが、実質的に高低差が30メートルであると見積もった場合、「登り」だけで1年で7500メートル登る計算になります。毎年、富士山をふもとから2度登ることになります。
このように、心と体を強くするという面に加え、もう一つ忘れてならないのは、人間としての「心の優しさ、思いやり」を育てるという一面です。
子どもたちはバラバラに競走して歩かされているのではありません。年上の子どもたちは年下の子どもたちをいたわり、守りながら全員が一つになって歩いています。
手と手をつなぐという経験は、心と心を通わせる経験であります。
人間は、「愛されて人を愛することを学ぶ」と言います。まさしく、年少の子どもたちは日々優しく守られることをたっぷり経験することで、やがて学年が上がるにつれ、今度は年下の子どもたちを進んで守り、いたわろうとします。
ところで、この「思いやりの心」は、先ほどあげた歩く距離の計算のように、目に見える形で計算できるものではありません。3年間幼稚園に通えば、これだけ飛躍する、という性質のものではありません。
むしろ、子どもたちの心の優しさというものは、入園当初から大人と変わらない形で、むしろ、大人以上に純粋な形で備わっているのではないか、幼稚園はそれを磨く場に過ぎないのではないか、と私は思います。
つまり、幼稚園という一つの社会では、本来子どもたちに備わる「まごころ」や「やさしさ」といった基本的感情の<表現の仕方>を学んでいるに過ぎない、と思います。たとえば、友だちに優しくしたいけれど、恥ずかしくてつい意地悪してしまう、といった例はよく見受けられます。その場合、優しくしたい、みんなと仲良くしたい、という心そのものは、純粋なものとして最初からあるのだ、という点に注意する必要があります。
そして、このした感情の基本は、幼稚園に入園して身につくものではなく、生まれたときから、ご家庭でご両親やご家族の温かい空気にふれ、育まれるものであるという事実を、再認識していただきたいと思います。
このテーマに沿って、私がまとめた文章がございます。今からそれをスライドを使ってご紹介していきたいと思います。
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以上が話の導入部でした。スライドを使ってお話しした内容は、以下のリンク先にまとめてあります。コメントの一番下に原稿があります。
>>「善きことは」