誕生会は今年度最後でした。
小学生(否、大学生)に話すような内容をあえて幼稚園児向けに噛み砕いて話しました。
年長児へのはなむけの言葉として。
今日のお帰りで並ぶ時、年少の男の子が私の顔を見るなり、「かっこいい、長い話しをしてくれた」と言うので、伝わる部分は伝わったと思っています。
イントロはオリンピックの話。
金メダル、銀メダル、銅メダル。
オリンピックの起源について説明しました。
ある英雄(オイディプス)がスフィンクスの謎掛けを解いたエピソード。
朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の生き物は何か。
答えは、(年長児はみな知っています)「人間」。
古代ギリシアから今に至るまで、人間は世の中に役立つ新しい技術、発見を積み重ねてきました。
他方、ギリシア以来、「人間とは何か」の問いに答えようと努めてきました。
園児から声がかかります。「人間は肌色をしている」等。(これは五時代説話を紹介する際、金色の人間、銀色の人間、銅色の人間・・・と紹介したことに起因します)。
簡単に見えて難しい問いです。
動物と比べてみましょう。
猫や犬はみんなのように椅子に座って話を聞くことは?「できません」。
手を繋いで道を歩き、階段を登って幼稚園に通ったりは?「できません」。
(そういえば今朝の第一グループの出発の際、年長男児が自分のスキー用手袋を外して年少女児の手(素手)をつないくれました。私は手袋をかばんに入れる時、優しさに胸が一杯になりました)。
使いたいおもちゃを誰かが使っている時、「貸して」、「いいよ」とやりとりすることは「できません」。
・・・この調子で、園児なら誰もが当たり前に「できている」と自覚していること、しかし大人の目から見ても「大切なこと」をいくつ確認しました。
(そういえば、今日の第6グループの帰り道、自分はおはしでご飯を食べるけれど、犬は口だけでご飯を食べる、などいろいろ意見が出ました)。
最後の締めくくりとして、「年長さん。小学校に行っていろいろなお勉強をがんばってください。ただ、心のどこかに、『人間とは何か』という問いを忘れずにもっていてください。それを考えることが大事な意味をもつときがきます。これが先生からのメッセージです。」と言って、15分ほどのお話を終えたのですが、なんと年少さんもしっかり最後まで姿勢を崩さずに聞いていました。
今後、この問いは、仕事選び、仕事づくりのうえでますます意味をもつ時代に入ると思っています。
ちなみに、古代ギリシア人、ローマ人の一般的な答えは、人間は神と違い、「死すべき存在」、神は「不死なる存在」でした。動物と比べるのでなく、神と比べる所がポイントです。
その後俳句の時間で年長のクラスに入りました。
新しい俳句として、「鶯(うぐいす)の 啼(な)くや小さき 口あけて」を紹介しました。
終わってから、ちょっと嫌な予感がしてこの俳句の作者を確認すると、蕪村でした。私は子どもたちに芭蕉と言ってしまっておりました(何たるミス)。今まで15年間、この手のミスは一度もしたことがなく、自分でもかなりショックでしたが、すぐにつきぐみの部屋に走っていって、子どもたちに心から詫びた上、正しくは「蕪村」でした、と伝えました。中には「やっぱり変やと思うてた(笑)」という男児もいて、笑いたかったのですが、神妙な面持ちでクラスを後にしました。
ということで、「人間だもの」(Homo sum.=私は人間である)という西洋古典の一文でエントリーを締めたいと思います。