今日は11月のお誕生会でした。

皆姿勢良く会に臨むことができました。

先生からの出し物は今でこそ当たり前のようになっていますが、一昔前は私が短い映画を上映していました。

「手作りのお祝い」という観点で、今のスタイルをよしとして落ち着いています。

私は子どもたちに「本当の意味でお兄さん、お姉さんになるには何に注意していけばよいか」という視点でのお話をしています。

大事なことを子どもに分かる言葉で伝えることは難しいものです。テーマを決め、わかりやすい言葉を選ぶ中で、自分の考えもシンプルになり、本当に大事なことが何かに的が絞られていくのを感じます。

今日は「ご挨拶の大切さ」を伝えました。形としての挨拶が大事と言うことでなく、言葉や身振りで相手に気持ちを伝えることは大切です。恥ずかしがらず、進んでできるようになりたいものです。

年長児はこのあと、俳句をしました。

蕪村の俳句「遠山に 夕日一筋 時雨かな」を扱って4回目です。

手を挙げて皆の前で発表してもらいました。いつもの通り、最初から最後まで「お地蔵さん」のようによい姿勢で前を向く、ということを全員に意識してもらいました。

運動をするとき、走るとき、歌を歌うとき、それぞれに相応しい姿、フォームがあります。

俳句のフォームはどういうものか。皆がそれを意識し、何も言われずにも自然体で実践できれば、小学校に上がってからの勉強も、無理なく捗るでしょう。

小学校に行ってから苦労しないようにと、あたかも水泳を習わせる感覚で勉強の先取りをさせる親は少なくありません。先取りをすると、肝心なことが抜ける恐れがあります。知識の習得ができればそれでよし、と油断することが予想されます。

一番大事なのは、前を向いて集中して先生の話を聞く姿勢です。この姿勢の安定はどうやれば実現するのか。日頃の生活次第です。子どもたちの心が「あれやこれや」で一杯では姿勢はけっして安定しません。

大人も「雑念」が多いと心が落ち着きません。味付けの濃い料理が小さい子どもには過剰であるように、今は色や音や動きの面で、これでもか、とばかりに過剰な演出が子どもたちを取りまいています。誕生会の映画をやめたのも、小さい子どもの感受性に取って映画の迫力は過剰であると判断したためでもあります。

幼稚園時代は小学校の勉強について知識がゼロであっても、集中する姿勢があれば学校の勉強を吸い取り紙のように吸収すると私は信じています。

集中力をどうやれば身につけさせることができるか。という問いはじつはナンセンスです。というのは、子どもは本来集中力の塊だからです。

いかに集中力をさまたげない生活を演出できるか、を大人の側で試行錯誤する必要があります。

現実に目を向けると、子どもの集中力は、様々な理由で遮断させられます。車で言えば、数百キロノンストップで走れる車が、日頃は渋滞に巻き込まれ、思うように性能を発揮できないのと似ています。もちろん、これは大人との共同生活を送る以上やむをえません。幼稚園も同様で、遊びの真っ最中のときにチリンチリンと鐘はなり、「次はお弁当」と指示が出ます。

ただ、子どもの集中力は本来マックスであることを心得ると、大人はできるだけ渋滞の緩和に知恵を絞ろうと工夫するでしょう。渋滞の現実をそのままにしておき、「集中せよ」と言葉で繰り返しても、子どもは途方に暮れるだけです。

幼稚園では10年ほど前から水曜日に予定を入れないようにし、遊びの日としています。子どもたちはアクセル全開で高速道路をどこまでも走りきる心地よさを味わっています。言い換えれば、最高のレベルまで自分で自分の集中力を高くキープする爽快感を味わっています。

家庭で子どもの集中力を「守る」一案として、シンプルな提案をします。

日頃は中々忙しく、「しりとりしよう」といわれても相手ができないご家庭の場合、「よし、やろう」と数回に一回はとことん時間を忘れてつきあってください。コツは、子どもから「もうやめよう」と言うまでつきあうことです。

親もくたくたになりますが、極端に言うと、一生に一回だけでも本気でこれをやる、とやらないとでは大きな違いがあります。

子どもは、たいてい大人が先に「やめよう」ということを知っています。それを逆手にとって、子どもが根負けするまで相手をしてください。

お父さんが活躍できるチャンスかも知れません。

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