「論語」に「本立ちて道生ず」という言葉があります。
いろいろな場面で応用のきく言葉です。
学校の勉強に関していえば、基本ができれば道は開ける、ととれます。
昨日書いた英語の勉強についても、文法の基本が大事というのはそのとおりですが、そもそも外国語の勉強に取り組む前提は日本語の力であり、その基礎は幼児期に培われる、といえます。
幼児教育は人生の「本(もと)」イコール基本であり土台です。
子どもは言葉を発しないという意味でインファントと呼ばれます(フランス語でアンファン)。
犬も猫も言葉を発しません。
よく犬や猫に話しかける人がいます。
愛情あればこそできます。
話しかけずにいられないから話しかける、その気持ちが愛情です。
子どもはいつしか自分の言葉を話し始めます。愛情をもって話しかけられた子は他人に心を込めて言葉を話すようになります。
愛情をもって絵本を読んでもらった子は心を込めて文字を声に出して読むようになります。
愛情は「その子の身になってものを考え、感じること」と言い換えることができます。
「こうしたら楽しいだろう」、「うれしいだろう」と相手の気持ちを推し量って「一緒に時間を共有する」のはその子のためだけでなく自分の喜びでもあります。
なにかを「してあげる」と考えすぎるとしんどくなります。子どもも自分も楽しい道を歩むことが家族の基本であり、そのかぎり親子に幸せの道は自然に「生ず」といえるでしょう。
きょうだいがいる場合の大原則は親は太陽であれということです。
太陽はわけへだてをしない象徴です。
手のかかる子がいます。かからない子は何も感じていないように見えて、太陽の光をほっしています。
大人として「その子の身になって考える」ことができるなら、手のかからない子の「心の声」に耳を傾けることができます。
その力は「想像力」というものです。
幼稚園の先生に常々話しているのは、この想像力を大事にして「声なき声に耳を澄ます」ということです。
家庭教育も、幼児教育も、基本はこの「想像力」を豊かに発揮することであり、それは愛情の別名であると思います。
それが豊かに発揮されていれば、「道はおのずと開けていく」と思われます。