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>>絵本は思い出である

A4二枚になったのですが、削って半分にしました。没にした部分(未推敲)の主要部分は以下の通り。

 我が子にどう接すればよいかわからない親が増えているという。せっかちに答えを求める必要はない。同じ人間は二人といないし、同じ時間は二度とない。過去に戻って生き直すことができない以上、自分を満足させる「正解」はありえない。ただ、過去から今に届く「思い出」の光が、同じ強さで未来の道を照らすのである。

 人生の岐路に立って二者択一を考える人から相談を受ける度、私はいつも本園の二叉の道のことを思い浮かべる。どちらの道を選んでも、歩けばてっぺんにつくのである。右に行けば、右でしか見えない景色が見えるが、左に行って見える景色を見ることはできない。大事なことは自分の道を信じ、歩くことをやめないことだ。育児書は山道のガイドブックではない。なぜなら、自分の人生の山道はまだ誰も登ったことのない山だからである。

 だが、この山は一人で登るのではない。家族で登るのである。男の子の育て方がわからないという母親は、夫と語り合う時間をもつとよい。「育て方」をめぐる相談は、「正解」を求めての「議論」に終始する。一番よいのは、父親にも幼い頃の「思い出」を語ってもらうことである(すでに結婚前に何度も語ってもらったとしても)。難しい話ではない。たとえば幼い頃のアルバムを見るというもよい。子どもにとって、両親の幼い頃のアルバムを見るのはなかなか興味深い経験である。もちろん、家族で子どものアルバムやビデオを見るのよい。アルバムもビデオも、それを撮ったときと、数年経ってからとでは、感じ方、受け取り方が全然違う。

 「思い出」は何も命令しない。ただ、自分は自分でよいのだ、この子はこの子でよいのだ、という気持ちにさせられる。試みに、入園当初のことを思い出してみてほしい。卒園する頃、過ぎ去った不安の日々は、懐かしい思い出話に変わっているはずだ。ただ単に時間が経ったからそう感じるのではない。家族が一つになり、それぞれが自分の立場で精一杯生きていた、と言い切れる経験を共有しているかどうか。この経験の一つ一つを時間の経過が美しく彩ったもの、それが私の言う「思い出」である。(以下略)

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