昨日の総合練習も含め、九月の後半は公園でお遊戯をするほか、徒競走やリレーの練習も繰り返し実施しています。

昨日も、年中、年長のこどもたちの中に、悔し涙を流す子どもが複数いました。負けるのが怖くて走る前から泣いた子、転んで悔しくて泣いた子、リレーで負けて泣いた子・・・。実際に涙を見せなくても、心で泣いているケースも多々あることでしょう。

それぞれのクラスでは、勝ち負けの大事さととともに、一生懸命がんばること(=転んでも諦めずに走ること、バトンを落としてもしっかり走ることなど)の大事さをお話ししていますが、実際に間近で友達が涙を見せる姿を見て、自分の中にある「真剣に勝負に挑む気持ち」を目覚めさせているようです。

子どもとして立派だと思うことは、涙を見せる子どもの気持ちを自分のことのように理解し、自分なりの精一杯の表現で「いたわり、励まし合う」姿勢を見せていることです。(涙を見せる子は、だからこそよけいにつらくなって涙が出てくるということでしょうけれども)。

#こどもたちの思いは、お休みの子どもへの気遣いにも及びます。「・・・ちゃんの分もがんばろう」とこどもたちの側から声が出ます。

練習中の「待つ姿勢」は昨日も見事でしたが、今年は特に、こどもたち全体がじつに「まじめ」といいますか、一生懸命の気持ちと思いやりの気持ちがあちこちにみなぎっていて、そうした姿勢が、上で述べた「涙」や「励まし合い」の源にあるように感じます。

そういうと語弊がありますが、大人の競技に出た保護者が、負けて涙を見せるでしょうか(笑)。こどもたちにとって、運動会は日々が真剣勝負の連続です。

一方で、年少児で「負けて涙」という話がないのも、興味深いことです。年中から年長にかけて、そのような気持ちが自然と芽生えてくること、歯を食いしばることの大事さを学ぶ時期なのだと感じます。

とは言いましても、年少児は年少児なりに、運動会の緊迫感を肌で感じています。昨日は、行進ひとつとっても、年中、年長児の堂々とした姿を間近で見て、大きな刺激を得たようです。

そんなこともあり、年少児は年少児として、自分のやりきれない「不安」な気持ちを様々な形で外に出し、表現しようともがくケースが見られます。

これは大人も子どもも変わらないことですが、不安なら不安で精一杯もがくことが次につながります。運動会が無事に終われば、大人同様、こどもたちも精一杯力を出した爽快感を味わい、日々不安なの中で努力を繰り返した日々をかけがえなく大切なものとして受け止めることができるでしょう。

10月後半から、クラスが一段とひとつにまとまり、こどもたちがいっそう輝きを増す時期となります。

関連記事: