今年から8月11日が山の日(祝日)となりました。
お山の幼稚園、そして山の学校に関わる者として、親近感のもてる祝日です。
山といえば登るものというイメージが世間一般だと思いますが、私は山の上(今の園長室)で生まれ育ったので、山は家であり、住む場所でした。子どものころから苗字と違ってなんで山の下じゃなく上に住むのか、疑問でした。
小学校から帰るとき、最初の石段のコーナーを曲がると長い坂道が目の前に見えるのがちょっと嫌でした。「ああ、これを登らないと家に帰れないな」と。
幼稚園の子どもたちはいつもおしゃべりをしながら山道を登るので、嫌そうに登る子はいません。それでももし、小学校時代の私のようにたった一人であの道を登りなさい、といわれたら嫌そうな顔をするかもしれないなと思います。
みんなで登るから毎朝楽しく続けられるのではないかと思います。
それはさておき。2001年だったと思いますが、今から15年前に下水道の工事が行われたさい、それ以前の石段がはがされ、平板なコンクリートがその坂道を覆うようになりました。それまでは市電の敷石を敷き詰めた趣のある石段が続いていました。石段になっていない部分もありましたが、そこには滑り止めの小石がいくつも埋め込まれて見た目もきれいでした。
朝学校に行くときは、そんな表情のある石段を素早く凝視しながら、一つ飛ばしで駆け下りるのが朝の日課でした。いかに素早く山の下まで走り下りることができるか、石段のどこに右足を着地し、左足をどこに置けば昨日よりも早く降りられるのか。毎朝が自分一人のレースでした。ただ、そんなことを考えて山の石段を駆け下りたり、汗をかいて登ったりしているうち、知らず知らずのうちに体力がついたようです。小学校の高学年になって体力テストがあったのですが、他の種目は下から数えた方が早い位置にいましたが、反復横とびだけはクラスで一番でした。
小学校時代は体も小さく50M走も遅かったのですが、中学に入り冬に持久走を走ってみるとぜんぜん疲れませんでした。しかし、(不思議なことですが)、目の前で息を切らせているスポーツの得意な男の子たちを抜かすことはできませんでした(小学校時代に勝手に作り上げたイメージの中で、自分はこの子たちは抜いてはいけないと思いこんでいた節があります。目に見えない壁のようなものは自分が勝手に作り上げるイリュージョンだという好例です)。
高校に入り、そんな思い込みもリセットされたとき、入学早々に1500メートルのタイムを計ると講座で一番速いタイムが出せたので自信になりました。大学では体育会のテニス部にいましたが、毎日練習後に鴨川沿いを走ったり、吉田山や大文字の上まで荒神橋付近のコートから走るのが日課でしたが、四回生になって元気な新入生が入っても、一度も誰にも負けませんでした。
ということで、北白川山(120M)のような低い山であっても、毎日欠かさず上り下りをすれば、将来必ず足は速くなると思います。
将来オリンピック選手も出るかな?