謝恩会で言及した「人間とは何か」ということについて、十分ご説明できなかったとふりかえっています。
園児たちには、スフィンクスのなぞかけについて誕生会で説明し、「人間とは何か」の問いを心にもっていてほしいというメッセージを伝えました。
子どもたちの未来を考えるとき、この問いは今後ますます重要になると思います(下記リンク先参照)。
園児たちにもわかる話で言えば、人間と動物の違いを考えることで、自分たちの成長してきた道のり、そしてこれから人として大切にしなければならない価値が見えるでしょう。
猿は欲しいものを引っ掻いて奪うが、人間は言葉を使って交渉する、等。
大人は日頃目の前のことで精一杯です。
自分や周りの人が病気になった時、人として生きる意味を考えるかもしれません。
昔のギリシア人、ローマ人は、人間とはなにかを問われて、mortal(死すべき存在)と答えました。
immortal(不死)な存在との対比において人間をとらえることで、時間(すなわち命)の有限性に気づくでしょう。
ミヒャエル・エンデの「モモ」のテーマは「時間」ですが、作品の背景にある思想として、hora(時間)はvita(命)(ホーラ・ウィータ)という考えが認められます。
人生は「時間泥棒」(灰色の紳士)との戦いです^^
2000年前のローマの作品に「人生の短さについて」(セネカ作)がありますが、人生を短くする原因は何か、それがわかれば人生は十分に長いと言います。私見では、エンデと同じ考えです。
吉田兼好も似たようなことを言っていますが、セネカの現代語訳を読むほうが、具体例が豊富でわかりやすいです。一言で言えば、自然に即して生きる、すなわち人間らしく生きるとき、充実した時間が流れる、というありきたりに思えるオチですが、人間とは何かというシンプルな問いを胸にもてば、誰もが「行き過ぎ」(過度の競争意識など)に気づき、軌道修正できるでしょう(ローマに「黄金の中庸」という言葉あり)。そのとき、他人の思いやりや真心に気づく力も回復するでしょう。
司馬遼太郎に「人間のヒモノ」と言われぬよう、「人間とは何か」の問いを思い出す時間を大事にしたいと思います。
その文脈で謝恩会では蕪村の俳句を最後に紹介させていただきました。
盆地に住む私たちは、ひねもす海を眺めるかわりに、せめて顔を上げ空と雲を見る時間を大切にしたいと思います。