ずいぶん昔に書いたエッセイを読み返しました。
「自由」を意味する英語のリバティーのルーツを辿ると、ラテン語のリーベリーに行き着きます。リーベリーとは「自由な人」、すなわち「こども」を意味します。
子どもはいずれ大人になるのが必然ですが、大人は心の持ちよう一つで、生涯子どもの心を胸に抱き続けることが可能です。
芸術とビジネスの対比と同じく、100か0かの極論でなく、要はバランスが大事なのだろうと今は思います。
地球レベルでこの問題をとらえるとき、日本社会に生きる子どもたち(そして私たち)は、自由に生きる生き方と、義務に忠実である生き方のバランスは後者に針がふれがちであること自明です。
そのメリットも多々ありますが、デメリットも同じか、それ以上にあるわけです。
その受け止め方も個人差はあり、重圧に心苦しく生きる人も少なくありません。
そのあたりの問題を「見て見ぬふりをする」(stop thinking)のでなく、おりにふれて「考えるため立ち止まる」(stop to think)ことは大事だと思います。