「銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子に及かめやも」(山上憶良)

どれだけ社会が変化し、多忙を極めても、大人が子どもにそそぐ眼差しの基本は、万葉の頃も今も変わらないと信じます。

日本語では「子ども」と言いますが、おもしろいことに古代ローマでは「リーベリー」(自由な人たち)と表現しました。自由を意味するリバティーの語源とつながっています。

ラテン語で学校はludus(ルードゥス)といって、元の意味は「遊び」です。

英語のプレイがそうであるように、ラテン語のルードゥスは遊びと言っても受動的なそれではなく、芸術活動も含めた能動的行為を意味します。ただ、それはそれとして、学校をルードゥスと定義するとは恐れ入ります。

異なった視点を得ることは硬直化しがちな意識にとって、良い刺激になります。

蛇足ながら、学校を意味するスクールの語源は、ギリシア語で「暇」を意味するスコーレーです。学舎は英語でスカラーといいますが、元の意味に照らすと「暇な人」のことです。

学校教育について言えば、先生が少しでもスコーレーにあずかれるようになればと願います。

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