元号が令和に代わりました。漢字には様々な意味があるため、新元号発表に際して、「令」の字を「命令」の意味で理解した人や、令和を「和せしむ」と読んだ人も少なくなかったと思います。ただし、命令の意味をどう受け取るかについては、二つの立場が考えられます。一つは「他者が自分に命令する」という意味で理解する立場。このとき、令和は否定的なニュアンスを帯びることになります。これに対し「自分で自分に命令する」という意味で理解するとき、新時代にふさわしいキーワードに見えてきます。

私は日頃幼稚園児に様々な話をします。いつも話すことの一つが「言われてやる」のでなく「自分でやる」ことの大切さです。「自分でやる」とは「自分でやろうと思ってやる」ことであり、物事に挑戦する意欲を意味します。たとえば子どもは自分から親に自転車の補助輪を「取って」と言う日があります。「よし、やろう」と自分で決意し、親に頼むのです。親が「やってごらん」と言うのも一つですが、それは「危ないからやらなくていい」と言うのと同じで、親が子に命じることです。

小学校以上の教育において、自分で「やろう」と思って自主的に学ぶことは大切です。それは「自分で自分に命令」して学ぶことにほかなりません。もちろん「外からの命令」は、子どもたちの健やかな成長と社会規範の習得の上で不可欠です。他方、「内からの命令」(内なる声)に従うことで、子どもたちは自らの知的好奇心を守り、主体的に生きる力を養います。ポイントはこれら二種類の命令のバランスです。

当然年齢が上がるほど、「外からの命令」は影を潜め、子どもたちは「内なる声」に従い、人生を自由に(つまり責任をもって)生きることが期待されますが、現実はどうでしょうか。大学生でありながら「内なる声」がかぼそく(つまり自分が何をしたいかがわからず)、いつまでも「外からの命令」に依存する人が少なくないように見える昨今です。

『論語』に「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」という言葉があります。小人は同調をよしとし「外からの命令」に従順ですが、心に「和」はありません(自分が本当にやりたいことができない不満が残るため)。君子は安易に同調せず責任をもって生きるゆえ、自由を謳歌し心に「和」をもちます。そんな個人の集まりにはおのずと調和が生まれるでしょう。それが「和して」の意味です。AIの台頭する新しい時代において、「外からの命令」に従うだけなら、ロボットに軍配が上がることは自明です。これからの教育はむしろ「内なる命令」に従う自立した市民の育成に重きを置く必要があるでしょう。このことを令和の二文字は何より雄弁に物語っているように思います。

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