昨日の朝、泣いてスタートした男の子。
抱っこしてなだめても「いえにかえる。おかあさんにだっこしてもらう」の一点張り。
「いえにかえる・・・」、「ようちえんでなにしてあそぼう?」、「いや、あそばない」、「きのうダンゴムシみつけたね」、「もう、みつけない」、「おべんとう、なにかな?」、「きょうはおべんとう、ない」(これは私の失敗)、「おすなばであそんだね」、「いや、あそばない」etc.
しばし押し問答が続く中、一列目の年少女児も泣きはじめました。
「ないてはるね」と男の子にいうと、「ん?」と視線を落とし、気にする様子。
さすがに「ないてない」とは言いませんでした。
しばらくまた思い出して泣く、ということの繰り返し。
だんだん男の子の泣く力も弱めになり、ここぞというときに降りて歩いてもらいました。
信号待ちでとまったとき、1列目の女の子がすでに泣き止んでいることに気づき、(自分はまだ半べそでしたが)「泣きやまはったね」とその男の子はつぶやきました。
今朝は別の女の子が元気よく泣いて歩きました。
泣きながら「ようちえんはいかない。いえにかえる」と言いながらも、しっかり手をつないで歩いています(最後まで手をつないでくれた年中女児はやさしかった)。
がんばって石段を登り切り、Ikuko先生にごあいさつをする直前まで泣いていました。
ところが一瞬にして泣き止みました。Ikuko先生の前で年長男児が大事そうにダンゴムシを手の平にもって見つめています。
「あかちゃんが生まれたのよ」とIkuko先生。
見ると、さっきまで泣いていた年少女児は、数名の子どもたちの輪に入って食い入るようにダンゴムシを見つめていました。
日々いろいろなことがあり、偶然のきっかけで涙も笑顔に変わります。
腹の底から泣けるいうことはすばらしい経験です。
いずれ泣かなくなるのは目に見えていますが、自分の納得のいくように生きる力がみなぎっているとも言えます。
その力がまっすぐ発揮できるよう、子どもたちの作る社会の輪の中でのびのび過ごしてほしいと願います。