この一週間をふりかえると、心に浮かんでくるシーンがあります。
外遊びでのこと。ひさびさに男児が真剣に取り組んで流す悔し涙を見ました。
その後の様子を見ていると、切り替えて別の遊びにチャレンジしていました。
かつて、大縄跳びで流す涙、竹馬で流す涙、かけっこで流す涙、様々な子が様々な場面で流す涙をいろいろ見てきました。
小学生も涙を流します。山の学校の将棋道場で完全に摘んでいるのに「負けました」が言えず、30分盤上を見つめてから負けを認め、大泣きした子がいました。
そうした子どもたちのその後の(中学高校に至るまでの)成長を見るにつけ、ここぞをいうときに流す涙は人生の糧になると思います。
だからといって、「涙を流せ」とけしかけるのは本末転倒であり、負けず嫌いの精神力はどこでどう育つのか、生まれつきなのか、後天的な何かによるものなのか、興味の尽きないテーマだと思うばかりです。
十人十色と言われるように、世の中すべての人間が「負けず嫌い」のぶつかり合いになるのも妙な話であり、その力が将来世のため人のために使われることを願う一方、「お先にどうぞ」と譲ることのできる心をもって生きる人も、その優しい心が世の中でよい形で発揮されることを願います。
総じていえば、世の中が「画一性の中の不調和」でなく「多様性の中の調和」を実現する方向で変化していくことを望みます。その前提で、子どもたちの個性の開花を応援する私たちの取り組みにも一層の意義深さが感じられるものだと思っています。