私は古い時代の言葉に興味があります。
『論語』に、「不憤不啓(憤せずんば啓せず)」という言葉があります。
漢字に大事な考えがぎゅっと凝縮されていると感じます。
意味は、「学ぶ意欲を持たない者には教えることはしない」というシンプルなものです。
これに「不悱不発(悱せずんば発せず)」という言葉が続きます。
意味は、「言葉を出しあぐねて悶々としなければ、導くことをしない」となります。
さらに、ダメ押しの言葉が続きます。
「一隅を挙ぐるに、三隅を以つて反せずんば、則ち復びせざるなり。」と。
要は、「1を聞いて10を知るタイプ」の相手でなければ、次から相手にすることをしない、という厳しい態度を示しています。
学生や生徒のことを英語でstudentといいますが、この単語の語源はラテン語で「熱意を持つ」ということです。
studyは「熱意」を意味するstudiumが語源です。
孔子の言葉とどこかでつながります。
日本には戦後たくさんの大学ができましたが、はたしてどれだけの数の学生が本来の意味でstudentと胸をはれるかどうか。
このことをベースに20年ほど前に行った講義の書き起こし文があります。
幼稚園児は、好奇心の塊で、英語の本来の意味でstudentだらけだと感じます。
いつまでも、その学びの魂が輝き続けるよう願ってやみません。
山の学校はその考えに基づいて創設しました。