昨日の話の続きです。

程よく頑張るという言い方は、真摯に努力する人にとって甘いというか、ゆるい言葉に聞こえます。

今日はその補足です。

中国の古典に「天地不仁」というのがあり、この言葉を念頭に置けば、努力する者を天は正当に評価するだろう、という考えもまた甘いことがわかります。

だからといって、努力に意味がないわけではないでしょう。

私個人が思うことは、努力の中身に関するもので、「誠」に尽くすことが最善、というものです。

英語にも Honesty is the best policy.というのがあります。

他者との競争に人事を尽くすのも一つ。「誠」に尽くすのも一つ。

誠とは、言葉を成す、と書きます。

自分の発した言葉に責任を持つことに努める、という道があります。

その言葉は、他者に向けられるものもあれば、自分の内面で自分を叱咤激励する言葉もあるでしょう。

いずれにせよ、自分が主体です。

その言葉の重みをどれだけ重く受け止めるか。人によって差が出ます。

幼児も「よし、やろう」と自分に言い聞かせ、手に豆をつぶしてでも、一生懸命鉄棒の練習に励みます。

自分で決めたことを誠実にこなしていく。その先に何かよいことが待ち受けるか、どうなるかは天の計らい次第。

それはどのみちだれにもわかりません。

人間のできることは、「人事を尽くして天命を待つ」こと以外にはないのだろうと思います。

信頼の「信」の字は「人が言う」と書きます。

自分が言った言葉を自分の努力で形にするとき、小さな子ども、自分を信じることができるでしょう。

「自信」を得る道はそれしかないのだと思います。

大人として、まずは自分で自分の心の声に耳を傾け、誠実に実践を重ね、自ら自信を深め、その姿勢を子どもが見て模倣するように導けたら言うことなしだろう、と思います。

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