急に涼しくなった。祇園祭から数えて約一月。真夏の始まりとその終わりと。どこから見るか?京都に住む人、訪れる人なら誰もが考える。私はここ数年、幼稚園の庭から家族と見ている。送り火が終わった翌日から、夏休みの宿題のことが気にかかり出す、というのが子ども時代のパターン。だが、町内の地蔵盆もあるし、学校のプール開放もあるし、で、宿題は最後の一週間になんとか仕上げるということだったかと思う。

今は、学校の学期制も多様化しているので、高校などでは秋休みを設ける代わりに従来の夏休みの日数が少なくなっているようだ。「自由な時間」をどう使いこなすのか。これは生徒だけの問題でなく、社会人になってもつきまとう問題で、定年退職したら・・・・したい、と言っている人は、たぶん定年退職してもそのことを実現することはできないのかもしれない。本当にしたいことの実現にとっては、時間(やお金)が第一の制約になるのではない。

お金も時間も、制約があるうちはその有効な使い方をあまり考えないですませるものだ。忙しい=時間がない、と言っておけばその場はしのげる。が、生徒にとっては夏休み、社会人にとっては長い休日や、退職後の生活においては、その言い訳が通用しないので、本人の夢を描くビジョンの力がシビアに問われてくる。

忙しい日常は子どもも大人も変わりなくあるにしても、かりに時間やお金が無制限にあったとしたら、それをどう使うのか?真剣に想像を巡らしてみる。結局の所、自分の夢って何なのか?日頃から強く意識しておく必要がある。

松本紀生さんが「山の学校」の講演会の後で、「あなたの夢は何ですか?もしその実現に対して何の制約もないと仮定してよいなら、何がしたいのか?」と質問されたことが大変強く心に残っている。

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