「私は義務教育は何をおいても、同級生を友だちと思えるように教えてほしい。同級生を敵だと思うことが醜い生存競争であり、どんなに悪いことであるかということ、いったん、そういう癖をつけたら直せないということを見落していると思います。」(岡潔『人間の建設』)
大事なことが述べられています。かみしめたいと思います。
「私は義務教育は何をおいても、同級生を友だちと思えるように教えてほしい。同級生を敵だと思うことが醜い生存競争であり、どんなに悪いことであるかということ、いったん、そういう癖をつけたら直せないということを見落していると思います。」(岡潔『人間の建設』)
大事なことが述べられています。かみしめたいと思います。
山下です。
岡氏の言葉を聞くと「理想と現実は違う。試験には勝たねば意味はない」と反論する人も出てくると思われますが、私見を述べると、勝ち負けは他人に対してではなく自分に対して行うことができます。過去の自分を乗り越えるという意味です。学校の勉強についても、試験を受けたら間違った箇所、不明なままの箇所をうやむやにせず、克服するように努める。他人との勝ち負けに一喜一憂する人は、本当に学びに集中しているというよりも、周囲の雑音に気を取られ、勉強を強いられるだけで終わることが多いです。日本語の「勉強」はたしかに「勉めて強いる」わけですが、グローバルな視点でとらえなおすと、スタディー(study)の語源は「情熱」(studium)です。