子どもたちよ
子ども時代を しっかりと たのしんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたを支えてくれるのは
子ども時代の「あなた」です。(石井桃子)

石井さんの言葉は短く、真実を語っています。

世の中全体がどんどん子ども時代の「あなた」に無関心になっているようです。

「あなた」の本質は、このブログでも再三取り上げている「三つ子の魂」のことです。

「すべて成熟は早すぎるより遅すぎる方がよい。これが教育というものの根本原理だと思う。」(岡潔『春宵十話』より)

岡先生も言葉を変えて同じことを述べておられます。

ゆとりを失った世の中は、この逆をよしとしていますが。

国は違えども、『モモ』をかいたミヒャエル・エンデはこう述べています。

現代の子供に関する考え方には大きな間違いがあると思います。それは生まれ落ちた子供は、いわば空っぽの袋であって、そこに何か詰める作業が早ければ早いほど、のちの中身は増えるというものです。 『エンデの文明砂漠』

遠回りな言い方ですが、子どもは空っぽの袋ではない、という立場は、石井さん、岡先生と同じ考えです。

ちなみにドイツをはじめとする先進国の教育はこの「詰め込み」を禁じています。

「詰め込み」は競争と直結します。

岡先生の言葉は耳に痛いものです。

「私は義務教育は何をおいても、同級生を友だちと思えるように教えてほしい。同級生を敵だと思うことが醜い生存競争であり、どんなに悪いことであるかということ、いったん、そういう癖をつけたら直せないということを見落していると思います。」(岡潔『人間の建設』)

誰かが声を上げないと、子どもたちは「競争」(自分との戦いでなく、他者と比較されての競争)によって学びの魂を日に日にしぼませています。

エンデの言葉を続けましょう。

人類の探求欲のすべて、いやそればかりか芸術のすべて、偉大な理念のすべて、哲学のすべては「驚き」から始まると私は思います。驚きは人間の中にある「永遠の子供らしさ」なのです。驚かなくなったとき、すでに人間は多かれ少なかれ生命を失っています。 『エンデの文明砂漠』

「驚き」とは健全な好奇心の別名で、アインシュタインは a holy curiosity(聖なる好奇心)と名付けました。a man of success (計算高い人間)になるな、a man of value(価値のわかる人間)になれ、と喝破しつつ。

エンデの言葉は幼児教育にとってヒントに満ちています。

子供はおしなべて、まだ害されていない五感を持っています。私は自然の中に潜む精神的なものを認識するには、完成された理解力が是非必要だとは思いません。そうではなく、ただただ健康な五感が必要なのです。 『エンデの文明砂漠』

a sense of wonder(センス・オブ・ワンダー)という言葉が浮かびます。

「便利」、「効率」を至上命題とする「文明砂漠」の中でどのような子育てが可能なのか、また、大切になるのか。

親の考え一つで子どもの人生は大きく左右されます。

子どものその後の生き方は親の人生を大きく左右します。

上でふれた問題は、一人一人の大人が今一度じっくり考えてみたい大事なテーマだと思います。

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