今日は一学期の俳句最終回でした。
習った俳句をすべて復習しました。
本園の俳句の取り組みは創設当初から変わらないスタイルです。
今日は集中と持続の話をしました。
俳句の時間はせいぜい10分です。
集中するところは集中する、具体的には前を向いて話し手の顔を見て話を聞く。小学校から始まる「学習」をみすえて、この時間を大事にしています。
集中すべき時間帯であくびしたり、よそを見たり、足を崩したりすると、大事な話を聞き逃します。
それは油断です。
外で遊ぶとき、力いっぱい遊ぶ。しかし、鐘が鳴ったらお片付けに集中する。並ぶときはさっと並ぶ。列になって帰るときは、皆と一緒に帰る。
日常を振り返り、集中するタイミングがどこにあるか、話しました。もし、列に加わることをぞんざいにし、「まだいいか(どうせ行先はわかっているから)」と遊び続けたらどうなるか?と問いました。
先生と一緒に帰るグループと、そうでないグループに分かれます。それはクラスに「隙(すき)」ができることであり、集中するグループと油断するグループに分かれることになる。どちらがお兄さん、お姉さんのグループだろうか?
このことは、夏休みに家の人と一緒に過ごすときにも言えることだと言いました。
遊園地や大きなお店で家の人が「こっちよ」と言われたら「はい」といってすぐにそばに行くのは「集中」。「ま、いいや」とすぐに行かないのは「油断」です。
このちょっとした「隙」が原因で、気が付くと、迷子になるかもしれません。
手を繋いで幼稚園に通う道も同じです。
今述べた「隙」があってはいけません。事故につながるからです。
でも、集中していれば事故は起きません。
列に加わり年下の子の手を繋ぐことは「集中」です。手を離したり、勝手にふらふら・うろうろするのは「油断」です。
毎朝、無事に幼稚園に通うことができるのは、ここにいるみんなが当たり前のように集中し、それを歩いているあいだじゅう集中を(自然に)持続できているからです。
小さい組の子どもたちにも、皆さんは手を繋いであげることで、その大事さを毎日教えてくれていますね。
そんなみなさんであれば、部屋で先生がお話をされるときも、お家でお父さん、お母さんがお話をされるときも、しっかりお顔を見てそのお話を聞くことが出来ますね。
このようなことを述べながら、今日は、集中とその持続の大事さをお伝えしました。
追記
その後で、子どもたちの俳句を紹介していきました。その中に「季語」を感じさせるものがあり、子どもたちに季語の話をちょっとしました。その次の俳句にも季語が含まれていました。「この俳句の季語は何ですか?」と聞くと、即座に言い当てる子がいました。しっかり話を聞いて集中している子でした。