一つ前のエントリーで俳句のことを書きました。小学校以上の教育について思うことは、親は子と「つかず離れず」良い距離をとってほしいということです。今やっている俳句やこれからやる俳句を先に紹介すると、家で練習をするところも出てきます。成績がつくわけではないので、こう書いても冗談のように聞こえますが、もしかりにそこに成績が関与すると目の色が変わる親も出てきます。
成績が関与するのでやる気が出る、というのは人間心理として理解できますが、これからの時代の価値観ではもはやないと私は思います。本人の目の色が変わる内が花で、そのうち飽きてきて、目の色が変わるのは親のみ、という状況はさすがにまずいと思います。
小学校以上の勉強も同じで、やる内容がわかっているから、「先に」やる家庭が多くなります。悪いことではありません。本人がやる気一杯であるかぎり。たいていは、親がやる気満々です。
幼稚園の運動会に母子競技があります。手をつないでゴールを目指します。親が先を走り、子をせかし、ときにひきずるようにゴールを目指すと怪我をしてあたりまえで、楽しくありません。子どもだけ走らせて自分はいっこうに走らないのもおかしいです(学校のことは子どもにすべて任せきりでは子どもは途方に暮れます)。
ほどよく距離を取り、親はちょっと1歩あとからついていくのが絵になります。学校の勉強もこれと同じです。
親として子どもの学習をどう支援すればよいか。私は、親こそ復習の大事さを伝える人であって欲しいと思います。親は他人に先んじて何かの知識を子に与えるのではなく、本人が「できた」と思い込んでいる「何か」について、「本当にわかっているのか?」ていねいに確認して欲しいのです。ざっと世の中を見回すと、「基本」ができていない生徒がほとんどです。
漢字で言えば、先生にマルがもらえる答案がかけたからそれでよい、という価値観ではなく、同じマルでももっと丁寧に書けるはず、と言ってとめやハネに気をつけて何度も書き直すように指導できるのは親を置いて他にだれもいません。(学校の先生は一人の子にそこまでつきあえない)。
先へ、先へ、というのが時代の風潮なら、後ろへ、後ろへ、というのが親の合い言葉であるべきです。
俳句について言えば、すでにやったことを丁寧に復習する時間をとる練習をしてみてください。といって面倒なことではありません。すでに学んだ俳句を親子で朗唱するだけです。限られた、数少ない俳句でも、繰り返し声に出していると、毎回必ず何か新しい気づきがあります。
同じ事を繰り返し取り組む姿勢は、すべての学習の基本的態度です。しかし、何事にせよ根気よくとりくめない生徒や学生が年々増えている印象があります。(本当にできる学生は一定数いて、彼らは例外なくその基礎を会得しています)。
幼稚園児や小学校の低学年であれば、ちょっとでも新しい事を知っている自分を偉いと勘違いする傾向があります。どうしても背伸びの姿勢に成り、足下がふらついています。私の述べていることは、ほうっておいても子どもは背伸びしたがるので、親は「足下を見なさい」と基礎の大事さを気づかせる人であって欲しい、ということです。
すでにお知らせでご紹介したとおり、一学期に学んだ俳句は次の通りです。
1学期
かたつぶり そろそろ登れ 富士の山 一茶
五月雨を 集めてはやし 最上川 芭蕉
昼見れば 首筋赤き 蛍かな 芭蕉
大蛍 ゆらりゆらりと 通りけり 一茶
家では、これらを繰り返し親子で朗唱してください。これは先取り学習ではありません。ごはんも何度も噛めば味がわかります。同じことを繰り返すと、前に進んでいないように思いますが、次の学びへの意欲をたくわえているのです。