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一昨日の俳句のことにまだふれていませんでした。午後からの取り組みということもあり、黙想のときも、声を合わせて朗唱するときも、集中できずゴソゴソしてしまう子が数名いました。私にしてみれば、こういう機会をとらえて、全体として目指すべき方向の話ができるので、みなにはできる力がある、それを行わないのは残念であり、もったいない、という話をしました。初回の緊張がだんだん緩んでくると、どうしてもこうなります。そして、この傾向は毎年この時期に出てきます。

同じ傾向が外遊びを終えたあとのお片づけに見られます。三学年でいえば、学年が下にいくほど丁寧に片付けのできる子の割合が多くなります。上にいくほど、やる子とやらない子の差が開きます。「やる・やらない」は意識の違いであり能力の違いではありません。この傾向は毎年のことです。そして毎年慣れの見られるこの時期に、本来どうあるべきかという話をクラスでもしてもらい、みなで力を合わせる方向に導いてもらっています。

考え方の基本には、時間には2つあるということだと思います。自分(個人)の時間とみんなの(公の)時間の2つです。外で遊ぶ時間は自分で自由に過ごす時間です。何をしていいか、先生に尋ねるべきではありません(そういう園児は一人もいません)。一方、お片付けの合図が鳴ったら、みなで力をあわせる時間、つまり公の時間に切り替わります。一人だけ勝手に遊び続けることは許されません。

「自分一人くらいやらなくても大丈夫」という甘えの気持ちを正し、「自分がやらなきゃ誰がやる」という意識に導くのが教育だと思います。

俳句の時間にしても、一人だけ違うことをすると、周りに迷惑をかけます。みなで心をあわせ、声をそろえて発声するからこそ、全員で大事な何かを会得し、学ぶことができます。小学校に上がっても、この原理は大事に守らなくてはなりません。体育指導の瀬川先生も、「メリハリをつける」、「聞くときは聞く」、「やるときはやる」、「今は何をするときかを考える」ということをいつも語られます。

何かと疲れも出やすく慣れも出やすいこの時期だからこそ、子どもたちにはメリハリある園生活を送って欲しいと願っています。

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