例年、三学期の今頃は、発表会に向けての取り組み一辺倒になりがちです。気をつけてもバランスをとることは難しいのです。

昔から、よく遊びよく学べといいますが、本当にバランスをとろうと思ったら、放っておくとやらないことを一生懸命にやる、と心に決めないとうまくいきません。

こう考えて、自園の取り組みをいつも客観的に見ないといけないと常々思っています。

昨日のカプラもそうですが、先生はクラスの活動、行事の活動について、毎日詳細な記録を書いて提出します。

その中に、一日の活動の記録があります。私はそれに目を通し、活動が特定のジャンルに偏っていないか、気をつけて見ます。

今年は、意識して、「外の」、「設定保育」の時間を増やしています。たとえば、園庭マラソンなど、「全員で」体を使った遊びに積極的に取り組んでいます。

もちろん「卒園までに全員・・・ができる」など「外向けのフレーズ」(「恩着せがましい話です^^;;)を言いたくてやっているわけではありません。あくまでも「バランス」の観点で取り組んでいます。

幼稚園時代の教育は、目で見える成果を大事にすることも大切ですが、見えないところを見る目、一人一人の心の声を聞く耳がないとうまくいきません。

個々の欲求はさまざまです。特定のジャンルだけをのばすやり方にはよしあしがあります。たとえば、年長の俳句にしても、いくらでも見た目の「レベルアップ」をはかる方法はあります。耳で聞いた音を文字で筆写する、など。覚えたものを一学期から順に全部言う、言うだけでなく、紙に書く、ひらがなだけでなく、漢字も交える・・・・etc.しかし、その弊害も容易に予想できます(予想できない弊害はもっとあるはずです)。

こういった「訓練」は、私の考えでは小学校以上に「とっておく」のがよいと思っています。伸びしろを十分確保しておくということです。そのようなわけで、幼稚園時代には俳句を「耳で聞いて口で言う」段階に限定して取り組んでいます。

しかし、上で示唆したようなプラスアルファの取り組み(紙に俳句の文字を書くなど)は、個々の家庭で「よし、やろう!」と思えば実践すればよいし、その工夫の余地はいくらでもあります。たとえば、幼稚園で習った俳句を親が「教えてもらい」、その勢いに任せて、子どもに「絵で説明して」と頼みつつ、俳句をテーマとした絵を描かせるなど、いろいろ考えられますね。

先日ある保護者から、「うちの子は漢字に興味を持ち始めた。教えてよいのだろうか」というご質問をいただきました。

おおいに結構だと思います。そのお子さんは、ご自分のお名前(難しい漢字です)を漢字で書くことに喜びと誇りを感じている様子でした。

運動会の母子競技があります。見ているとふたパターンあります。親が先行し、子が後ろからついていくパターンと、その逆に、子が先を走り、親が後からついていくパターンと。

「ぼく(わたし)これやりたい!」と子どもが先行するなら、親は後からついていけばよいのではないでしょうか。

その逆の危険性があることを常に心にとめれば、なおよしです。(親が必死で走り、子どもを「引きずる」のは危険ですね。そんな例は運動会では見たことはありませんが、このイメージを意識しておくと、小学校以上の勉強について、親子の取り組みの心構えが見えてくると思います)。

繰り返しになりますが、バランスをとることは難しいです。子どもが興味本位に「できる!やりたい!」と言い、つい「このチャンスに!」と欲張るのが親の常です。親が欲張りすぎると、子どもがやる気を失いそれっきり、となるパターンが予想されます。

どちらかと言えば、親が少し遅れながら後ろからついていく、しかし、左右の方向付けだけはよく見て声をかける、という「親子列車」がよい感じです。

同様に、幼稚園でも「よかれ」と思って、先生が子どもを引っ張っていく、というスタイルには功罪両方ある、ということを十分わきまえないといけません(デメリットとしてまず思いつくのは「燃え尽き症候群」です。小学校以上の「勉強」だと、「これだけやっていればいいんだろ」という価値観の本末転倒を植え付ける、等。何かができることはたしかに「偉い」のですが、特定の価値(勝ち?)を強調するとしばしば価値観の「逆立ち」がおこります)。そのような自戒をこめつつ、今回は「バランスをとることの難しさ」というタイトルをつけました。

(※上で、「列車」の比喩を使いましたが、「トレーニング」の本来の意味は、「引っ張る」ということです。列車は「トレイン」と言いますが、一番前の車両が残りを「引っ張る」ことに由来します)。

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