小学校の元校長先生とお話しする機会がありました。
先生が現役の教師時代のこと。あるときから、校長先生が朝礼で子どもに賞状を手渡すことをしなくなり(一人が目立つのを避けるため)、クラスでそっと渡さないといけなくなったとのこと。
そのことをその先生は面白く思わず、「よし、それなら自分でみんなの賞状をつくろう」と思い立ったそうです。それからというもの、毎年その先生は手作りの賞状をクラスの全員に年度末に手渡したそうです。
クラスの人数分、一枚一枚を一年かけて完成していくのだとか。それがどれだけ手の込んだものであったかを身振り手振りで教えていただいたのですが、先生の熱意が子どもたちの心を動かす源であると感じました。
その先生の教え子が今では現役の小学校の先生になり、同じく手作りの賞状を子どもたちに手渡しておられるそうです。
感動のたすきリレーだと思いました。
一人一人がこの一年何ができるようになったのか、一人一人がどのような点でかけがえのない存在なのか。これらを言葉に託し、絵に表し、一年かけて少しずつ仕上げていくのだそうです。
教育の世界ではいろいろな評価の仕方が工夫されていますが、この先生のお話を伺い、私は子どもたちが幸せだと思いました。
クラスの誰もが立派に努力する存在であることを、この先生はしっかりと公平に評価されました。めいめいにとって、これは何にもかえがたい自信につながったことと思います。
やり方は違いますが、本園でも年度末に「努力賞」を一人一人に手渡します。
担任が一人一人のメッセージを心を込めて書き、その努力賞をクラスの全員の前で読み上げて手渡します。あらたまったその場では、自然と全員から拍手が沸き起こります。私も事前に各担任の書いたメッセージの下書きすべてに目を通し、太鼓判を押して清書していただいています。
卒園児の保護者から、先生はうちの子を本当によく見て下さっていた、とお礼を頂戴することがあります。幼稚園時代にはピンとこなかったのに、小学校に入り学年が上がるにつれて、そのとき先生が書いてくれた言葉の意味がよく呑み込めるようになったとのこと。
幼稚園の先生は、子どもたちの「よいところ探し」を毎日している仕事だ、と言い換えることができるかもしれません。私たちはそこに無上の喜びを感じます。