お盆です。
昨日は墓参し、心の中で先祖と対話しました。
とくに先代園長だった父とは少し長く。
今から11年前の7月末、遠い旅先で父の余命がひと月と知らされたとき、私は1日の中にも無限の一瞬がある、その一瞬で過去の思い出がよみがえり、心は幸福に包まれる、明日の命がどうなるかわからない点では父も私も同じである、ともに一瞬を大事に生きよう、という趣旨の手紙を出しました。
それはその後の自分へのメッセージでもあり、今もそう信じて生きています。
「わ、なんとすてきな」と気づくのも、「ありがとう、助かった」というのも、「悪かった、ごめん」というのもみな一瞬の思いであり判断でありひらめきです。
アルバムを広げれば一瞬で過去の自分にタイムスリップできます。
ただし、うっかりしているとなかなかそうした内省はできず、いたずらに日々は流れ去ります。
子どもの寝顔を見て一日をふりかえるのも一瞬でできます。そのチャンス、その一瞬のタイミングのかけがえのなさに気づくか否か。
人は生きる限り、毎日がそうしたテストの連続だと思われます。
追伸:
私が父に出した手紙に「一瞬」にふれたきっかけは、小学校の卒業文集に保護者が一言メッセージを寄せるコーナーで、父が次のように書いてくれたのを覚えていたからです。
「一瞬、一瞬。二度とこない、この一瞬。一瞬、一瞬を大切にして生きていこうね。一郎」
40年ほど前のことが「一瞬」でよみがえりますね(笑)。