子どもについ叱りすぎるという反省を口にされるお母さんは全国にも大勢いらっしゃると思います。古今東西、珍しくないことだと思います。
ただ、そのことについてもし気にされるのであれば、以下のヒントを参考にして下さい。
同じことを先生にも言っていることですが・・・。
私は腹の底から「ダメ!」と強く叱るときの状況はいつもイメージしています。それは、「絶対にダメ」という基準を持つと言うことです。みなさんはどのような状況で「ダメ!」と言われますか?
命に関わるケースがそれにあたるでしょう。
一方、ふだん、私たちはややもすると「ダメ」という言葉を比較的軽微な状況で使っています。そうすると、それ以上のレベルに遭遇すると、言葉の強弱で調整するしかなくなります。
いつもは「優しく」「ダメ」と言い、ちょっと困ったことをしたら、「きつく」「ダメ」と言う。どちらに転んでも用いている言葉は「ダメ」だけであるということはないでしょうか。
子どもは大人が思う以上に言葉の意味を受け止めます。先日の消防訓練のさいにも、消防士さんのお話しをしっかりと聞いていました。それは、その後の子どもたちの会話に耳を傾けていても、よくわかります。
さて、大人の話がしっかり聞けるというのが本当であれば、その大人であるお母さんが、「ダメ」しか言われないのでは、せっかくの説明のチャンスを失うようで、もったいないです。たびかさなると、「なぜダメってばかり言われるのかな?」と理解しがたい気分にもなるでしょう。
大人の自分が子どもになってみて、つまり、立場を逆にして考えるとイメージがわきやすいです。
逆に、普段は対話によって子どもに非を悟らせ、次同じ状況ではどうすればよいかを諭すやり方をとっておけば、いざというときの「ダメ!」に重みが増します。
伝家の宝刀(ダメ!)は簡単には抜かないでおくことをお勧めいたします。
逆に言えば、本園の先生はみなやさしいとお感じになると思いますが、しっかり腰には伝家の宝刀をさしています(^^)。日頃はよい意味で、そうめったに刀を抜く必要に迫られません。
先日はありがとうございました。
待つということの大切さを再確認すると同時に急いてしまっている
自分を見つめなおすきっかけにもなりました。
先生がおっしゃったレベル5段階を踏まえ迫真の演技を研究中です^^;
コメントをありがとうございました。「言うは易く行うは難し」で、私もいつも苦労しています。そうだからこそ、経験者としてこういった話ができるのかもしれません(笑)。
子育ては考えるほど難しくなります。考えなくてよいとも思えません。そこでまた浮かんだ話を。
私が上で述べたことは、レベル4とか5(危険水域?)にいかないように工夫するということです。大人として声量で勝負し出すと、気づくと子どもを上回るパワーが必要になり、際限がなくなるので=レベル5や6などメガトン級の声で叱る等が必要になるので・・・。
しかし、この問題を子どもの側から考えてみると、子どもにとって一番してほしくないことは、そうした音量アップの話しではなく、音量ゼロで横ばいになる方向の話しではないかということです。
音量があればこそ、私たちは大人も子どもも、「生きている実感」を生で感じることができます(親子ともそれをどんなに苦痛を感じるにせよ、後で振り返るとよい思い出になります。今はのんきなことを、と仰るかもしれませんが。それが家族というものです。他人と違い、どれだけ叱っても絆は切れません)。
逆に、同じ屋根の下で時間を過ごしていても、「音量ゼロ」という方向はあります(子どもはTV,ゲーム三昧。親は親で・・・という状況など。「心にすきま風が吹いている」とも言う)。
できるだけ2,3レベルで効果をもたせるように工夫(演技とも言う)しつつ、一方では、絵本を読むなどして、ご自身から発せられる言葉にバリエーションを持たせるのも妙案だと思います。
ちなみにご兄弟(姉妹)がおられる場合、親は兄、姉にあわせて本を選び、読んであげるのがコツだと思います。
親の読む本のレベルが高いといって、弟、妹は文句を言いません(むしろ背伸びしたがるのが弟、妹)。その逆はありえます。弟、妹にあわせた本の選択をすると、兄、姉は悲しくなります(自分は無視されていると思う。弟、妹ばっかり・・・と思う)。
普段その手のことで家の中ではめいっぱい我慢しているわけなので、せめて本の読み聞かせ(兄弟、姉妹が一緒に寝ている状況を想定しています)のときには、兄、姉に照準を合わせていただくと、八方丸く収まります。