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今日は年長クラスで俳句の時間を持ちました。

比較的長い時間、静寂を保って黙想できました。

今日が子規の俳句の最終回。何をやっていたかというと、「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺 子規」でした。

これを全員で3回唱え、1列目から順に声を合わせて復習しました。

その後、1列目から順に希望者に発表してもらいました。手をあげていない人に無理にあてたりはしません。自分で「やる」と決めたときにやって自信をつけてもらえたらと願っています。

その後、園児の作った俳句を一つずつもれなく紹介していきました。

このところ、ちょっとした俳句ブームが一部で起こっています。合作もたくさん寄せられています。

朝幼稚園に着くと、勝手口をノックする音が聞こえるので出てみると、年長の子どもたちが嬉しそうな顔をして「はい、俳句!」と自作の俳句を手渡してくれる日が続いています。

5,7,5でなくてもよいので、嬉しかったことやみんなに伝えたい発見などを言葉に表してみるのは、やってみると楽しいチャレンジです。

今朝幼稚園に着くと、年長のある女の子が「わたしは前は俳句は好きではなかったけれど、今は好きになった」と言ってくれました。

その子は今日手を挙げて発表し、自作の俳句を2つ読んでもらいました。それぞれの子どもにペースがあります。今はさほど好きでなくても、小学校に行ってから学校で俳句を習い、懐かしく思い出して好きになるパターンもあるでしょう。私がここで大事だと思うことは、かりにお子さんが親の前で何かが苦手だと吐露したとき、あわてないことだと思います。

かくいう私も、一学期のある朝、この女の子に「わたしは俳句はあまり好きじゃない」と言われたことがありました。そんなとき、なんと返事するか、難しいところですが、わたしはそのとき、「そういうことってあるよね。でもやっていると面白くなると思うよ」と返しました。

一方で、子どもたちに「姿勢」のことで注意が多く退屈させていたのかな?などと、あれこれ自省していたことは事実です。

今朝も、別の年長の女の子に、「先生はどうして俳句の時ご機嫌ななめなの?」と言われて、一瞬ドキッとしました。「正座をして、一生懸命俳句を声に出しているからそう見えるのかな」とお返事しましたが、子どもたちは大人の表情や声色にとても敏感です。

おそらく、その子は私が姿勢を崩した数名の子どもたちに注意をしたときの表情を訝しく思っているのかもしれません。私が一番多く伝えている言葉は「し・せ・い」です。今日も最後に次のような話をしました。

「かんたんなことが大切です。それは先生の顔を見て、しっかり話を聞くということです。それができたら、小学校、中学校の勉強は何も難しくありません。難しくなるのはよそみをするからです。小学校は1たす1は2から算数を教えてくださいます。かんたんだ、そんなこと知っているとよそみをしてよいでしょうか?かんたんに思えてもしっかりと話しをきくことが大事です。難しく思えても先生のお顔を見て話を聞いていればだいじょうぶです」と。

怖い顔で話していないつもりでも、もしかしたらそう感じる子がいたかもしれません。メリハリが大事ということで、今後も、言うべきことは言葉を選び、工夫して言うようにしていきます。

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