氷が張ったり雪が降ったりする季節です。
以前書いた原稿を読み返しておりました。
ワーズワースの「大人は子どもの父である」という表現に関して、司馬遼太郎は次のように述べています。
「私の中の小学生が、物や事を感じさせてきて、私の中のオトナが、それを論理化し、修辞を加えてきたにすぎないのかと思ったりします。もっとも心にコドモがいなくなっているオトナがいますが、それは話にも値しない人間のヒモノですね」と。(『こどもはオトナの父―司馬遼太郎の心の手紙』、神山育子著、朝日出版社)。
雪がふりすべてを忘れて遊びに没入できるのがコドモの心であり、「ある程度にしないと風邪をひくかもしれない」と心配するのがオトナの理性ということになります。
正真正銘の大人は、コドモの感性と、オトナの理性の両方をバランスよく持たないといけないと考える次第です。そのさい、さまざまな葛藤や妥協が胸を去来します。
一方、子どもの心にもオトナの理性が宿っています。「たしかにここでやめないと風邪をひいたらまずいな」と考えるなら、それはオトナの声をその子が心の中で発したことになります。
大人と子どもは、見かけの上では「大人と子ども」ですが、理性が理性に納得するとき、大人も子どもも「オトナ同士」です。
大人と同様、子どももさまざまな制限(時間や行動における)の中で、オトナとコドモのバランスをうまくとりながら、自分のしたいことを実現する経験を重ねてほしいと思います。
追伸
雪が降ると通園路の安全確保をまっさきに考える癖がついています(笑)。今回の雪は問題ありません(路面は地肌を出しています)。明日から気温が上がるようですが、万一凍る個所があれば除雪材をまいて雪と氷を溶かします(オトナの仕事ですね)。