年長の先生によると、金曜日の園庭あそびのとき、AちゃんとBちゃんの二人が大縄飛びで99回跳べたそうです。

そのとき、Aちゃんは「あと1回で100回やった。悔しい」と言ったのに対し、Bちゃんは「99回も跳べた」と素直に喜んだそうです。

もちろん、どちらがよいという問題ではありません。

嬉しいと思える素直な気持ちは貴重です。

悔しいと思えばこそ次への挑戦の心がかき立てられます。

数字は面白いもので、一人一人にとって数字の持つ意味は大きく異なるのだとあらためて思います。

園児にとっていちばん身近な数字は年齢の数字です。

自分が何歳だという自覚は誰もが強くもっています。

3歳と4歳の違い、4歳と5歳の違いはは、我々大人にとっての10代と20代の違い、20代と30代の違いほど大きい意味を持っているように思われます。

子どもたちは、同じクラスの誰が何月生まれかということもよく知っています。

同じ年少児でも、「Cちゃんはまだ3歳。私は4歳」と言う表現を送迎中に耳にすることがしばしばあります。

得てして隣に早生まれの年中児が隣にいて、その言葉をどんな思いで聞くのかとヒヤヒヤします(その子も4歳なので)。

顔色を見て、こだわっているようなら、「Cちゃんは来月で4歳、Dちゃんは5歳になるね。」と言うなどしてフォローしますが、ほとんどの場合、その必要はありません。

最初に挙げた例のように、数字は努力してどんどん更新していけるタイプのものもあれば、年齢の順序など、努力で逆転できないタイプのものもあります。

学校に上がると、いやでもついてまわるのが数字による成績の評価です。

100点満点で80点をとって喜ぶ人もいれば、逆に落ち込む人もいます。

数学でいつも好成績を収める人も、科目が変わると劣等感を味わうこともあります。

成績に表れた数字は外からの評価です。

成績を伸ばすコツは、「努力」とか「根性」といった精神論ではなく、なぜ自分はこの点数なのかを細かなレベルで把握できるか、どうかです。

自分の得た数字を自分で分析できると、次に何をすれば良いか、自分で答えが得られます。

私は共通一次二年目の世代ですが、その後センター試験が定着し、今に至ります。

このスタイルのテストに対しては、何をどう準備すれば成績が上がるかの見通しは容易につきます。

あとはやるか、やらないか、です。

大学はそれをきちんとやった人が集まる傾向があります。

しかし、努力すれば成績が伸びるという考えは、わかりやすい反面、大事な何かを見通しています。

その一つめは「運」です。他人の協力という「ご縁」も含め、自分一人の力で物事は達成できません。

努力して何かを勝ち得た人は、その結果がすべて努力のお陰と信じ、他人にも努力を強いる傾向を持ちます。

二つ目は「無駄」です。無駄という言葉は不適切かも知れませんが、結果を重んじすぎると、結果に直結する行動をよしとし、それ以外を「無駄」と切り捨てます。

たとえば、大学入試に「読書」は直接役に立たないので、本を読む学生は驚くほど減りました。

これでいいのかな、という思いは強くあります。

最初の話に戻ると、「悔しさ」があるから「努力」できます。それは人生を立派に生きる態度の基本的姿勢です。

他方、どんな結果でも「喜べる」おおらかな気持ちがあればこそ、人生は豊かになると思います。

一つの結果に対して、悔しさと喜びは相容れませんが、どちらも人生にとって大事な心の働きだと思います。

幼稚園は、安心できる環境のもと、たくさんの悔しさと喜びを毎日経験できる、貴重な人生経験の舞台です。

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