英語で新年の決意を表現すると、New Year resolutionになります。

この単語のもとになる動詞は「(化合物などを)分解する」という意味のresolveで、さらに根っこを追及すると、各々の単語のルーツはラテン語のresolutioとresolvoです。

「解きほぐし、分解する」ことと「決意を固める」ことがどのようにつながるのかはよくわかりません。

以下は私の勝手な想像です。

腹を決めて何かを始めよう、と「決意」するには周到な「分析」が必要なのではないかと思われます。インスピレーションや直感で未来の方向性のひらめきは得られますが、それだけで何かを始めようと「決意」するには、先行き予想される展開の場合分けと対応策の検討が必要になるのではないか、と。

古代ローマ人が得意とした「分割して統治せよ」の考え方です。

子どもは分析は苦手ですが、逆に「新年の決意」は必要ありません。「やろう」と思った瞬間に始めていますので。大人は分析は得意ですが、「やろう」とエンジンがかかるのが遅く、チャンスを逃すこともあり得ます。

どちらがよいとか悪いの問題ではなく、そういう傾向が一般に認められるということです。

さらにいえば、同じ人間(大人)でも、ものによって態度が変わります。勉強ならどんどん前に進むという人もいれば、音楽やスポーツであれば前向きな動機付けが持続するという人もいます。

何をやってもすべて前向きに継続的に取り組める人は少数派だと思います。

自分の好きなことを見つけ、「好き」を動機づけの根っこにおけば、大人も子どもも、特別の「決意」を必要とせず、コツコツ努力を続けていけるのだろうと思います。

たしかに面白いこと、ワクワクすることは「分析」して生まれるものではないでしょう。

逆説になりますが、「決意」せずに「継続可能」なものに着目し、それを伸ばす、という発想が得策なようです。我田引水となりますが、山の学校のモットーである「楽しく学べ」というのがそのあたりをうまく集約した合言葉なのだろうと思います。

私自身、飽きっぽい人間ですが、今まで無理なく継続してこられたものをふりかえり、上のような考えを抱くに至った、ということをご披露する次第です。

PS
写真は私が持っている一番古い本で17世紀末のもの。1万数千行の詩が収められていますが、昔は研究対象として、今は趣味としてコツコツ翻訳を続け、また注釈を書き進めているところです。幼児教育とは直接関係がありませんが、いつも言うように、子どもたちの未来が明るく開かれたものにするために、日本が世界の古今東西に等しく目を向けた文化的に真に豊かな国になればと願い、このような活動を続けている次第です。

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