今日の俳句では、「遠山に 夕日一筋 時雨かな 蕪村」をあつかいました。

また、皆の前で発表できる人には起立してもらい、覚えた俳句を正確に発表してもいました。

例年はもっと早い段階でこの「発表」をしてもらっていますが、早ければよいというものではありません。子どもたちの俳句への思いが熟したころを見計らった上で、今日からのスタートとしました。

機の熟し加減はどうやって見極めるのか。子どもたちの目の輝きであるとか、全員で声を合わせて復唱するときの音色であるとか、いろいろな指標があります。

今日は、「いける!」という予感が最初からありました。起立して発表する一連の動作を私が見本でやってみました。友だちがうろ覚えで困っていても、助け船は出さないとか、いくつか注意事項も伝えました。

今日手を挙げた人は4名だけです。少ないと思われるかもしれません。自分のお子さんが該当するかどうかは、できれば尋ねないでください(プレッシャーにならない形であればおたずね下さって結構ですが・・・)。

「発表しなかった」という答えを聞くと、たいていの大人は「なぜ?」と聞きます。この言葉は禁句です。絶対に問わないでいただきたいのです。

挙手をして静寂の中、ひとりで発表するというのは、簡単に見えて勇気のいることです。同時に「かっこいい」、「すてき」といったあこがれの行為でもあります。

ですから、お子さんにとって最初が肝腎です。デビューでつまづくことだけは避けたいので、半煮え状態で「発表しなさい」と追い込むくらいなら、むしろ無理に手を挙げないでよい、と言ったほうがよいです。

黙って様子をうかがっておくのがベストです。(大人は詮索好きですが、それが小学校に上がると試験の結果について詮索することにつながります)。

なぜ放っておく方がよいのか?というと、人間には黙っていても「あこがれ」の気持ちがあり、どのお子さんも、その気持ちが一番自分にとってよい時期に勇気を与えてくれるからです。そのタイミングをよく見極めるのが私やクラスの担任の仕事でもあります。

今後の展開ですが、時間の制限があるので、一回の俳句で指名できる子どもの数は限られます。このことも今日は子どもたちに説明しました。
#M君は「くじびきと同じやな」と言いました(^^)

しかし、強調しておきたいことは、必ず全員が(つまり誰を指名しても)きちんと発表できる日がここ1、2ヶ月の俳句の時間の中で実現するということです。大船に乗った気持ちでいていただきたいのです。

私のものの言い方から何かを思い出されるのではないでしょうか?

ちょうど年少さんで入園直後、どうしても泣いて泣いてお母さんから離れないケースについて、「必ず自分から「行ってきます」と手を振る日がきます。その日を信じて下さい。」と述べていることと同じです。

信じること。もどかしいものです。黙っているくらいなら、何かを言ったほうが、近道じゃないか。ふつうはそう考えます。

もちろん対話は必要でしょうが、ついつい大人のペースで問い詰めることになりがちです。子どものペースと大人のペース。折り合いの付け方にはコツがあります。次回の保護者会でお話ししたいと思います。

さて、今日の俳句の時間の話しに戻りますと、今日は両クラスとも、「誰か発表できますか?」と尋ねると、シーンとしました。この張り詰めた静寂の空気こそ、私が待ちかねていたものです。

ざわざわした雰囲気では育つものが育ちません。今ふれた静寂は、子どもたちの自信を磨くために不可欠の条件です。「機は熟した」と事前に予想したとおりの展開でした。

そんな中、勇気を持って先陣を切ってくれた四名の子どもたち。どの子も、よい姿勢でよいお声でした。そして、その一人一人をしっかり見つめるクラスのみんな。全員真剣でした。ですから、私は今年度の俳句を担当する者として、今日の子どもたち全員に「ありがとう」と言いたいです。

全員が心をあわせ、全員が立派なデビューを飾ったことになるからです。

すでにご承知のように、本園では、この俳句の時間を基礎とし、三学期にはいるといよいよ「劇の発表」に取り組みます。

全員が自分の台詞を舞台の上で堂々と発表し、自信をもって小学校に進学するため、私はクラス担任と力を合わせ、この子どもたちを全力でサポートしていきたいと心に誓いました。

関連記事: