子どもの言語教育というと大げさですが、子どもは誕生前から、大人の会話を聞いて言葉を学んでいるのだと思います。
言葉は一生の宝です。
幼稚園児に関していえば、小学校のように文字を使って教育する場所があっても不思議ではありません。
しかし、私は文字でなく音を使って言語教育を行うほうが先だと考えています。
その意味で、開園当初から本園は俳句の素読を行ってきました。
私も幼稚園時代を思い出すと、祖父が俳句の時間を担当していました。
今私が行っているのと同じスタイルで私も祖父から俳句を学びました。
子どもたちの記憶力はすばらしく、その日に教えた俳句をその日のうちに覚えます。
この事実を目の前にすると、教え方をあれこれ工夫して「もっと覚えさせたい」とふつうは欲が出るでしょう。
このことについて、私が注意していることを自著(『お山の幼稚園で育つ』世界思想社)から引用します。
実感として言えば、毎日俳句の時間を三十分確保し、一つの俳句を覚えるごとに、最初に覚えた俳句から順に復習する時間を設ければ、この数字は飛躍的にアップするでしょう。しかし、あえてそのような無理はしません。俳句の時間を増やすと逆に俳句嫌いを増やすと危惧されますし、今急ぐ理由はどこにもないからです。かりに保護者の中で、もっと我が子の暗記力を伸ばしたいと思う方がおられるなら、ご家庭で本の読み聞かせを日常的に継続すればよいとお答えしたいと思います。
じっさいご家庭で本の読み聞かせを繰り返せば、その内容を数回でそらんじる子どもがいても驚きではありません。しかし重要なのは、俳句にせよ本の読み聞かせにせよ、他人との競争でやっているのではないという点です。子どもたちは純粋に耳に入る言葉の音色に興味を持ち、それゆえ自然と暗記ができるのです。親がせくあまり子どもが興味を失えば前向きなエネルギーは途絶えます。
言葉の記憶に限らず、子どものもつ素晴らしい素質を末広がりに伸ばす秘訣は、大人が「無理をしない(=無理をさせない)」ことだと思います。
やがて、本人が自分の意志で「よし、やろう」と心に決めて走り出せば、それをとめる理由はありません。
「啐啄(そったく)の機」という言葉がありますが、大人はこのタイミングを「待つ」ことが大切です。
多くは、本人が「よし、やろう」と思う前に、大人が「無理をさせる」ことが少なくないようです。
純粋な学びの心は「(他者との)競争」と無縁です。