今日も教育全般の話題です。
かつて本庶佑先生は次のように主張されました。
大学院の授業料は無料にすべきです。財務省は受益者負担の原則をいい、教育を受けた者が受益者だといいます。とんでもない。受益者は国であり、国民です。知の人材を育てることこそが、国にとって一番重要。
この意見に対し、一般には大学院で授業を「受ける」のだから院生もその費用を払うのは当然だという考えが日本の場合根強いと思います。
受益者負担の考えを幼稚園の世界にあてはめると、幼稚園・保育園無償化導入の経緯を思い出すことになります。
枝葉を取ってまとめれば、「子どもたちが親の所得の影響を受けることなく良質な教育を受けることで、国全体の未来が豊かになる」(アメリカの研究結果が根拠として用いられました)という前提で、つまり国民全体がその投資の受益者にほかならない、という前提から無償化が導入された経緯があります。
この結果当然のことながら、無償化の対象となった幼稚園ならびに保育園は、国の将来に向けての「良質な教育」を日々実践できているか、社会に説明する責任を常に負っています。
同様に考えれば、本庶先生の主張は筋が通っています。
かりに大学院教育が無料になった場合、大学院ならびに大学院生が国民の期待に応える研究を行っているか、日々緊張感をもって努力しないといけません。
ちゃんとやるか?と聞くまでもなく、若い未来の研究者の卵たちは、今の劣悪な環境下でも歯を食いしばって日々学問に打ち込んでいます。誰もが立派に取り組むでしょう。
逆に、ここに予算を使わずして国の未来の発展は望めません。
キケロー曰く、「人間性に関わるすべての学問はある共通の絆を持っている」。文系・理系の別なくすべての学問は真理の探究という一点で共通の目標を有します。
その全活動が人類の今の、そして未来の生活に光をともします。
すなわち、今わたしたちが享受している文明・文化は過去の学問ならびに文化活動すべての恩恵を受けて花開かせたものだという認識です。
この認識が社会のコンセンサスになれば本庶先生の意見はごく自然に受け止められることになるでしょう。
「教育は国家百年の計」。今述べたことを為政者が真摯に理解しないかぎり、日本の未来は暗いと思います。
追伸
上の考えは世の中のマジョリティの考えではありません。私の主張の前提は「幼児教育も大学院教育もサービス業ではない」というものですが、この前提が今の時代は大きく崩れている点、かつ肝心の文科省もこの前提崩壊に加担しているとみられる点で、私はこのことを国民の一人として憂慮しています。