幼稚園は冬休みなのでいつも以上に子どもたちの教育について考えています。
ミヒャエル・エンデに次の言葉があります。
人類の探求欲のすべて、いやそればかりか芸術のすべて、偉大な理念のすべて、哲学のすべては「驚き」から始まると私は思います。驚きは人間の中にある「永遠の子供らしさ」なのです。驚かなくなったとき、すでに人間は多かれ少なかれ生命を失っています。 『エンデの文明砂漠』
ギリシャ語で「驚き」を「タウマゼイン」と呼び、エンデと同じことをプラトンもアリストテレスも述べています。
驚きは子どもたちがごく自然にもっている探究心、好奇心のことです。
ワーズワースの『虹』と題する詩はこのことを主題にし、驚きが「永遠の子どもらしさ」であることを印象付けています。
私の心は躍る、
空に虹を見るときに。
子どもの頃もそうだった。
大人になった今もそうだ。
年老いてもそうありたい、
さもなくば死に至らしめよ。
子どもは大人の父である。
願わくばわが人生の一日一日が
自然を敬う気持ちで結ばれんことを。
「大人は子どもの父である」という表現は逆説に聞こえますが、じっさい人が年齢を重ねるほど理屈の理解が驚きの心を追い出していきます。
驚きの点でいえば、子どもは大人よりも驚きの心に富んでいる、ワーズワースの表現を借りれば「自然を敬う気持ち」を豊かに備えている、といえます。
本園の教育のエッセンスはなにか?と問われたら、この「驚き」の心を大切に育くむこと、と答えることができます。
エンデは『モモ』を通じて、Time is money.の価値観を批判し、代わりに Time is life(命).を主張しています。
お山の上せましと遊びに興じる子どもたちにとって、そこで過ごす時間とは命そのものです。
上で述べた対比構造に関して、アインシュタインも次のような一文を書いています。
The important thing is not to stop questioning. Curiosity has its own reason for existing. One cannot help but be in awe when he contemplates the mysteries of eternity, of life, of the marvelous structure of reality. It is enough if one tries merely to comprehend a little of this mystery every day. Never lose a holy curiosity. Try not to become a man of success but rather try to become a man of value. He is considered successful in our day who gets more out of life than he puts in. But a man of value will give more than he receives.
訳すとこんな感じになるでしょうか。
「あなたのしていることの理由を考えるために立ち止まってはならない。なぜ自分が疑問を抱いているかを考えるために立ち止まってはいけない。大事なことは疑問を持つことを止めないことだ。好奇心はそれ自体で存在意義がある。人は永遠や人生や、驚くべき現実の構造の神秘について熟考すれば、必ず畏怖の念にとらわれる。毎日この神秘のたとえ僅かでも理解しようと努めれば、それで十分である。聖なる好奇心(a holy curiosity)を失うな。成功した人間(a man of success)でなく、価値ある人間(a man of value)になろうと努めよ。」
a man of valueと a man of successの対比は、time is life ととらえる価値観と time is moneyととらえる価値観の対比と同じです。
(この二つのフレーズの日本語訳は上のようにしましたが「成功を目指す人間」と「価値を重んじる人間」のほうがよいのかなとも感じています。ただ論旨に影響はないでしょう)。
以前保護者会で「伸びたゴム」の話をしたことがあります。
人間には無限の才能が与えられています。もし、特定の才能をできるだけ短期間に伸ばすことが教育の目的であると信じられたなら、その結果、伸びきったゴムのような生徒が増えるのは当然です。一本のゴムを無理に伸ばせばすぐに切れますが、3本、4本とたばねていけば、容易に切れるものではありません。 「好奇心」(英語だと curiosity)とは、このように多くの種類のゴムを伸ばす力をさすといってよいでしょう。伸ばしたゴムの「長さ」だけを問題にするのなら、特定の一本のゴムに注目し、それを伸ばした方が、早くしかも長く伸ばすことは容易に可能です。一方、複数のゴムを同時に伸ばそうとすれば、引っ張る力はたいへん大きなものとなります。この大きな力こそ人生を豊かに生き抜く力にほかならず、教育は切れそうなゴムを無理に長く引っ張ることでなく、探求心と呼ぶべきゴムの弾力そのものを強くしなやかに守り育てることを第一に考えなければなりません。
このブログでいつも批判している「点数至上主義」が支配的になるとき、子どもたちを取り巻く社会はひからびたゴムだらけの大人の支配する世の中になっていきます。