昨日の話の続きです。
再び自著(『お山の幼稚園で育つ』)から引用します。小学生以上の話題です。
幼児期にとことん遊んだ子どもは、学校での「学び」にもしっかり取り組めるはずです。本来の「学び」は、「遊び」と根っこでつながっているからです。子どもが学校で生き生きと「学ぶ」には、幼児の「遊び」と同様、大人は子どもを「黙って見守る」のがベストです。
こう言うと、「子どもは厳しく言わないと勉強しない」という反論が返ってくるでしょう。この場合の「勉強」は「学び」ではなく「義務」の別名であり、楽しいものではありません。親は「勉強しなさい」と口酸っぱく言い、子どもは勉強するのが嫌になって従わない。こうして親子ともに疲弊するパターンはよくあります。残念ながら、日本の教育では入試に合格するための「勉強」が奨励され、「学び」を尊重する空気が希薄です。この点は残念に思いますが、現実がそうである以上合わせる必要も出てきます。ではどうすればいいのでしょうか。
私は、義務として取り組む「勉強」についても、親が黙って見守る限り、子どもは自分のやり方で「遊ぶ」=工夫して学ぶことができると信じています。たとえば試験でよい点を取るには何をどうしたらうまくいくか? これをとことん考え、工夫し、実践する。うまくいっても、いかなくても、常に試行錯誤して結果を検証して先に進んでいく。それは楽しいことです。たとえば授業中に黒板通りに写さず、一問一答形式にしてノートを取る。同じやり方をする友達と休み時間に問題を出し合う。勉強を広い意味での「遊び」に転換してしまえばいいのです。
勉強でそんな面倒なことはできないという人でも音楽やスポーツが得意なら、結局同じこと(自分で練習が楽しくなる工夫)をしているはずです。
(親向けに)どうしても子どもに勉強してほしい場合、「勉強で遊べ」というと案外伝わるのではないでしょうか。本園卒園児には伝わると思っています。