去年の暮れに書いた「素読のこと、日本の教育のこと」を読み返しておりました。
手本となる音を耳から吸収することが、自ら音を発するより先にある、という事実が重要なのだと思います。
原点を探っていくと、赤子への子守唄ではないかと感じています。
子どもの目にするものも大事ですが、同時に、それ以上に耳にする音がどのようなものか、少し考えてみても良いかもしれません。
可能なかぎり幼児期には自然な音(人間の肉声、自然の音)と親しむのがよいと思います。
自然の景色は目で見るものですが、他方、鳥のさえずり、森の中の静寂は耳で聞いて感じるものだと思います。