今朝は雨降りでした。
子どもたちはレインコートに身を包み、粛々と通園路を歩いて園に到着しました。
年長児は朝一番で俳句に取り組みました。
蕪村の「鶯の啼くや小さき口明けて」です。
私が5,7,5の最初の5を唱え、子どもたちが声を合わせて同じ言葉を返します。
いくら時代が進んでも、否、時代が進むからこそ、人間が古来続けてきた学びの基本的スタイルを体にしみこませてほしいと願います。
確かに文字を使った反復学習はたいへん効果があります。
それは各家庭単位で必要に応じて取り組めばよいと思います。
少なくとも本園の考える集団教育の場では、昔ながらの「素読(そどく)」方式で言葉の芸術──俳句──にじかにふれ、心を動かす経験を繰り返してもらいたいと思います。
本園では、この俳句の取り組みの集大成として、3学期の生活発表会で劇の発表に取り組みます。
これはご家庭での練習がすべてです。
3学期早々、年長の保護者の皆さんにはこの練習にご協力くださいとお願いしました。
発表会をご覧くださった皆さんには明らかなように、年長のお子さんはあれだけ長いセリフを見事に覚え、朗々と会場に響き渡る声で発表しました。
すべてはご家庭のご協力のたまものです。
1月の保護者会でこのご協力をお願いしたさい、具体的には俳句と同じ「素読」スタイルで親子楽しく練習してください、とお伝えしました。
それは小学校から始まる教科の学習の基本的スタイルになります。
赤子に離乳食は不可欠なように、小1の子どもが学習スタイルを確立するためには親のかかわりが大きなウェイトを占めます(学校任せでは子どもたちは途方にくれます)。
小学校に上がるとまっさらの教科書が手に届きます。
すべての科目の基本は国語です。
その国語の力を支える原点は音読であり、それを可能にする根っこの経験として、私は親が子に語って聞かせる絵本の読み聞かせを挙げたいと思います。
その原点をさらに追いかけると、生まれてまもない赤子への「語り掛け」あるいはその後の子守歌にあるとも思っています。
あるいは、きれいな花を一緒に見つめ「きれいね」と声をかけること(赤子から言葉の返事はなくても心にその言葉を刻みます)、感動の共有を親が言語化して伝えること、この経験が言葉の成長の上でかけがえなく貴重だと思います。