幼児教育に関して次の言葉があります。
きわめて多くの事柄への希望が子どもたちの中で輝いている。それが年齢とともに消え失せるなら、素質でなく(教育上の)配慮が欠けていたということが明らかである。
現代の言葉かと思いきや、2千年前ローマのクィンティリアーヌスの言葉です。
幼児教育を考える視点がすでにこの時代に示されていたことに驚きを覚えます。
しかし、このような言葉は急に誕生したわけではありません。
さかのぼればキケロー、さらにさかのぼればプラトン等にいきつきます。
これら哲人たちの翻訳を読むと、上の引用文もそうですが、彼らがなんと日常的な言葉で、人生、あるいは人間社会に対して深い洞察をもって本質を追求したかに感動すら覚えます。
日本の、そして世界の子どもたちの未来を明るく輝かせるには、何をどうすればよいのか。一言で片付く問題ではないかもしれません。
ただ、上でふれた人類の宝というべき哲学たちの作品にふれる機会がほぼゼロの状態の我が国の教育カリキュラムはおおいに問題あり、と言わざるをえません。
哲学はフィロソフィーの訳語ですが、本来の意味は「知を愛すること」であり、これまた日常的な言葉です。
キケローは、「生きるとは考えること」と述べました。
冒頭の引用文について私見をはさむなら、子どもたちの教育から哲学を遠ざけることはまさに「教育上の配慮の欠如」だと私は見ています。
少数派の意見かもしれませんが、100年先の常識になることを願っています。