今日は小雨の降る中父親参観日を無事に行うことが出来ました。
保護者の皆様におかれては、ご参加いただきまして、まことにありがとうございました。
私自身、本園の保護者だった時があり、父親参観のときのことをよく記憶しています。
家で見るわが子の姿とは別の姿を見ることが出来、あれが「社会の人」としての子どもの姿だったのだ、と振り返ることが出来ます。
当時は参観日の後半に全保護者が第3園舎に集まり、園長先生のお話を聞く機会がありました。
私も園長就任当初はそのスタイルを踏襲しましたが、途中から今の時間割に変えました。
どちらも一長一短ありますが、社会の人としての子どもの姿をより長い時間心に刻んでいただきたいという気持ちから、園長のお話の時間は割愛した次第です。
子育てのヒントはすでにブログを通してよくご理解いただいていると思いますし、読んでいますというお声を頂戴することも実際あります。
と思っていると、今日たまたま目にしたインターネット(President Online)の記事があり、ご紹介したいと思います。
内容的になるほどと思うもので、幼児期の家庭教育に深くかかわるテーマです。
タイトルは、「本当の原因は「いじめ」や「友人関係」ではない…日本中で不登校の子が増えている構造的な要因:正しい親子関係が築きづらくなっている」という刺激の強すぎるものですが、子どもたちの目線に立って問題を深く掘り下げて解説してあるので、子どもを持つ親にとって、とても参考になると思いました。
子どもにとってものわかりのよい親が子どもにとってどう見えるか、逆に、子どもから見ると親にはどうあってほしいか?という観点で論じられているので、タイトルのテーマに関心のある方は一度目を通されてみてはいかがでしょうか。
大事なポイントは、「優しさと厳しさのバランス」ということではないかと思いました。
追記
このテーマは現代的な話題に見えて、古今東西変わらない子育ての難しさの根本にかかわっています。
一つの例を紹介すると、二千年以上前のギリシャの喜劇に、子どもは厳しくしつけるのがよいか、子どもの自由を尊重し、理解ある態度で接するのがよいか、というテーマの作品がありました(メナンドロスの『兄弟』)。
断片しか残っていないのですが、この問題の答えは「理解ある態度で接するのがよい」というものだったと推測されています。
一方、この作品を翻案したローマの作品(テレンティウスの『兄弟』)はこのテーマを改変し、「両方大事」というオチを付けました。
この改変をめぐって学者の評価は二分しており、その事実が示すとおり、教育における「厳しさ」と「優しさ」の問題は古くて新しい人類永遠のテーマなのだな、と思う次第です。