本日二学期最初の俳句の時間がありました。
予定の時間より1分ほど早めに部屋の前まで行きましたが、クラスから物音もせず、皆が落ち着いて集中している様子が窺われました。
静と動のバランスという点でいえば、俳句の時間──素読の時間──は「静」の時間です。
今日は皆がそれを自覚し、充実した取り組みができました。
新しい俳句は一茶のもので、子どもたちにはイメージしやすいものでした。
二学期最初ということで、園児作の俳句は少なかったですが、夏休みの体験を絵と俳句の言葉で表現した作品が園長室に届いたので、それを皆に紹介しました。
送迎の時間、子どもたちの声に耳を澄ませると、昨日は蒸し暑く今日は風が吹いて少し涼しい、などという声が聞かれました。
風の音に心が向かい、それを言葉に表すところに子どもたちの俳句心が顕在化しているように感じました。
本園の俳句は「子どもたちに本物の芸術を」という気持ちから、私の祖父が始めたものです。
私も幼稚園時代、お山の幼稚園に通っていたのですが、年長時代に祖父に俳句を習ったことになります。
自分で俳句を作ったりはしませんでしたが、何か「あらたまった感じ」という素読の空気感は今も懐かしく思い出されます。
こどもたちには、子ども扱いされたい気持ちと、大人扱いされたい気持ちの両方があり、俳句は子どもも大人も分け隔てなく親しめる点で、後者の気持ちを大切に育む機会になっています。