2014年から京都三大学教養教育共同化の授業を担当しています。
月曜日の送りの足で府立大学に隣接した稲本記念会館に出向いています。
担当は「西洋文化論」で、以前京都工芸繊維大学に勤めていた時に担当していた科目です。
内容は、西洋古典学について、イコールギリシア・ローマ文化の現代的意義についてお話ししています。
今まで何度か卒園児と再会することもありました。
幼稚園時代の面影を残しながら、立派に成長した姿を目にすると、感無量です。
同じ古典でも、日本文学の古典であれば、「源氏物語について教えています」などのように伝えれば、「ああ、あれね」とイメージをある程度共有していただけますが、「西洋古典」は学校でほとんど教えていないので、ピンとこない方が多いと思います。
現代の日本文化は東洋古典(漢文)の影響を強く受けています。
同様に現代の欧米文化は西洋古典(ギリシャ語・ラテン語)の影響を色濃く残しています。
日常の語彙を見ればそれは明らかです。
西洋古典学の入り口に、ギリシャ語、ラテン語の学習が待ち受けます。
私は元々英語が好きで、大学では英文学を学んでいましたが、途中で西洋古典に専攻を変えました。
英文学が手本として仰ぐ西洋古典に興味がわいたからです。
最初に学生にお話ししたことの一つは、和製漢語を英語に直し、その英語の語源を調べ、そのギリシャ語 or ラテン語を英語に直し、その英語の意味を日本語で考えて見なさい、ということです。
このブログではおなじみのことになりますが、たとえば、「勉強」を英語にするとstudyで、その語源のラテン語studiumを英語にすると、zealやpassionという訳語が得られます。それを日本語にすると、「熱意、情熱」となります。
つまり、「勉強とは何か?」と日本語で考えるのではなく、いったん英語に直してその語源から考えてみると、「勉強とは熱意・情熱である」という視点が得られます。
同様に「大学とは何か?」をこのやり方で考えると、「宇宙」(ユニバース)と突き合わせて考察するように促されますし、また、「国家とは何か?」を考えると、ローマの哲人キケローのDe Re Publica(国家について)に強く影響を受けた「共和国」という名称(republic はラテン語のres publicaに由来する)に込められた理念に思いを馳せることが自然とできるようになります。
ちなみにキケローは、「国家とは何か?」と自ら問う形で、「国家とは国民のものである」と述べ、ただし、その国民とは、「なんらかの方法で集められた人間のあらゆる集合ではなく、法についての合意と利益の共有によって結合された民衆の集合である」と述べています。>> Est res publica res populi.
現代日本語には様々な四字熟語があります。
そこには東洋古典の英知がつまっています。
同様に英語表現には、ラテン語経由で伝わる名言・名句もたくさん引用されます。
それらの出典を含めてわかりやすく説明し、東洋古典の名言名句と比較することもしています。
このブログでも幼児教育や学校教育に関係するテーマがあれば、少しずつご紹介していきます。
ちなみに、東洋古典と西洋古典の伝統を比較したとき、「疑うこと」、「疑問を持つこと」、「(真理を求めて)批判すること」を肯定的にとらえるか、否定的にとらえるかの相違が両者の特徴を際立たせると思います。
このことについて、学生には次のエッセイに書いた内容をお話ししたりもします。>>Ipse dixit.(子曰わく)