今日の午前中は、「学校英語とどうつきあうか?」のテーマで教育講演会を行いました。
多数のご来場に感謝申し上げます。
前半は、学校英語とどうつきあうとよいか、具体的な話をしました。
一言でいえば、復習が大切です、というものです(高校3年生でも中学1年生の復習をしましょう)。
自分流の勉強法を確立するうえで、それは不可避の作業です。
後半は、そもそも学校とどうつきあうとよいかについて、お話をしました。
「問うこと」ひとつとっても、西洋文化と日本文化の相違は大きいです。
明治以降日本の教育制度はフランス、ドイツ、イギリス、アメリカの例をバラバラに取り入れてきました。
文明開化、富国強兵、殖産興業、和魂洋才。
明治のスローガンは今も面影を残しています。
教育との関係でとくに無視できないのが、和魂洋才です。
和魂とは、「子曰わく」を唱えること(素読)で磨かれ今に至ります(今はそれも怪しいかもしれません)。
今日ご紹介した西洋古典のイプセ・ディクシトは同じく「子曰わく」と訳せますが、先生の言うことをうのみにしてはいけない、という警告として今に伝わる金言です。
(じっさい、英単語にipsedixitismがあります)。
正・反・合の「反」にあたるのが、批判的思考であり、それを大切にするのが西洋文化、それを抑えるべしとするのが「和」の文化です(同町圧力は無視できない力)。
孔子の「論語」に、「学びて思わざればすなわち罔(くら)し、思いて学ばざればすなわち殆(あやう)し」と言う言葉があります。
「学ぶ」とは基礎の習得、「思う」とは批判的思考と読み替えるとスムーズに理解できます。
両者の融合が理想であり、日本の場合、「問う力」を守り育てることが、英語を学ぶ上でも前提になります。
それを培うには、批判的読書が最適ですが、日本の国語教育でそれは手つかずです。
我田引水となりますが、山の学校のクラスでは、一冊の本を丁寧に議論しながら何冊も読み通していきます。
しかし、いちばん大事な防波堤は、家庭です。
子どもたちはどこかでつまづきます。真摯な問いが拒絶されることもあるでしょう。
あなたはあなた、ここからやれば大丈夫。
その問いは、大切なこと。
心から子どもたちの心の声に耳を傾け、共感し、守ってあげてください。