今日まで教育相談を実施しました。
たくさんの皆さんからじかに様々なお話をお伺いすることができ、私自身大きな学びをいただく時間となりました。
その中で、先日の「教育講演会」の内容にお話が及ぶことがたびたびありました。
中でも、「できたところだけを認める」話について、関心をお寄せ下さる方が多かったように感じています。
今日は比喩を用いて、この話を深堀いたしました。いずれ保護者会などで同じことをお話しするかもしれませんが、自分にとっての覚書として、以下メモのように書き留めておきます。
先日バレーの試合がありました。
日ごろバレーをされないみなさんも、数多く応援にかけつけてくださったと聞いております。
日々学校で頑張って勉強に取り組んでいるお子さんは試合に臨むプレイヤー、観客席の応援団は保護者である、と見立てるとどういうことが言えるでしょうか。
選手がコートに立つだけで、フレーフレーの大声援。
ポイントを挙げるたびに「やったー!」の歓声、ミスがあっても、「ドンマイ・ドンマイ」ではないでしょうか。
学校では成績がつきます。今日も公立中学校では期末考査が行われてるようです。
試験に向かう子どもには「えい・えい・おー!」と送り出し、返ってきた答案を見て、できたところは「バンザーイ」と喜び、できなかった箇所は「ドンマイ・ドンマイ」と受け止めることができれば、子どもはやる気倍増です。
バレーのプレイと応援に関してできるごく当たり前のやりとりを、自分のお子さんと自分との間で実現することができれば、子どもは「よしやるぞ!」と気合がみなぎります。
コートのプレイヤーが「応援団のみなさんのおかげです」といつも感謝されるのと同じ気持ちに子どもはなるでしょう。
その反対に、バレーの試合で、ミスするたびに観客席からブーイング(・やじ・ためいき)が聞こえたら、選手は本来の力を出せず、委縮すること請け合いです。
このように、日ごろの子どもと大人のやりとりを、「そういうもの」とあきらめず、少し離れた立場で俯瞰的にながめれば、あるべき姿、目指す姿がおのずと見えてきます。
子どもは誰に言われなくても、自分のミスには敏感で、そのままでよいとあきらめる子は一人もいません。
ブーイングで委縮するだけなのです。
親は(本当はできるけれども)あえてコーチ(=あそこをああやれば得点できた、等)にならず、あくまでも選手のファンであり、熱烈な応援団に徹すればよいと思います。
この話のベースは、私自身が、子どものころ、5つの問題で3つできた(or 3つしかできなかった)とき、父ができた箇所だけ指で数え、「全部できた」とほめたことに基づいています。
子ども心なりに、「ちょっと違う」とわかっていましたが、応援団の熱い声援は肌身に感じました。
このやり方のよいのは、その先、放っておいても、「次こそは!」と子どもが自分で自分に言い聞かすことになる点です。
できるだけ、この関係を早い段階で結んでおくと後々、自律的に学ぶようになるでしょう。
今までブーイングだったから、この先もダメ、ではなく、かりに次の試験から、応援団に変身すれば、子どもはとまどいながらも、素直に親の気持ちを汲み取ります(大人と違って子どもは素直に順応します)。
以上、自分へのメモ書きがわりに書きました。少しでもなにかの参考になればさいわいです。