子どもは体が小さく、語彙が乏しいので、大人は相手を子どもだと思って対応します。そのために「何か大事なもの」を見のがすこともあります。子どもは「何か」を言いたくてモジモジし、顔を真赤にすることがあります。そのとき、大人はいらだつのか、それともじっくりと待つことができるのか。
私は大人が理屈なしに子どもの立場を理解できる方法を知っています。私だけではありません。日本で英語教育を(ふつうに)受けた人なら誰もがご存知の方法です。それは、外国の人達に混ざって(あるいは一対一で)英語を話す場に身を置く方法です。
何を言っているのか?と思われるでしょう。大人である自分が、語彙の不足ゆえ、思ったことを自由に話せないもどかしさを実感し、モジモジし、顔を真赤にする。
どうでしょう?まるで子どもみたいです。
では、その逆を考えてみましょう。つまり、日本語を母国語としない外国の「大人の人」と話す場面を考えます。その相手の人が日本語を流暢に話さず、まるで子どものような語彙を使って、時に顔を真赤にするとき。
私たちは、そのとき、いらだつのか?それとも、じっくりと言葉が出るのをまつのか?または、相手の言いたいことを察して、言葉を補ってあげるのか?当然後者ですね。
私は子どもたちと接するとき、まるで外国の大人の人と日本語で話すときのように、言葉を補い助けます。子どもたちが言語的に置かれた立場い我が身を置いて想像すれば、当たり前のことをしているに過ぎません。
目の前の子どもたち。言葉はぎこちないのですが、言い表したい自分の気持ちは大人と何も変わりません。これが大前提です。
ときには、イメージトレーニングをしてみて、自分が外国語を不自由に話す場面を想像してみるのも、悪くないと思う次第です。(※英語が堪能な人は、英語以外でご自分の苦手な言語で想像してみてください^^)。
大の苦手!ということは、大きな切り札にもなるのです。