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先日行われた「やまびこクラブ」では新一年生も多数参加してくれたようでうれしく思います。私は外出しなければならない用事があり参加できなかったのですが、参加した一年生のFumikaちゃんから「はいくのほん」(メモ帳でつくった挿絵入りはいくノート)をお預かりしました。

その中に次の俳句があり心を打たれました。

しょうがっこう とってもたのしい ほんよみが

学校の本読みは大人にとっては何気ないことに思えます。幼稚園時代に習い事で経験済みだと感動も薄らぐかもしれません。Fumikaちゃんはおそらくそのような先取り学習の経験がなく、先生の後について全員で声を合わせて本を読むという経験が純粋に楽しく思われたことでしょう(図書館での読書でなく教室での音読の経験を表したものだと後でお母さまから直接伺いました)。

幼稚園の俳句は音だけを頼りに5,7,5を全員で復唱します(素読方式)。それに対して、小学校の本読みは、文字を目で見て発声するという点に大きな違いがあります。このステップアップを新鮮な喜びとともに上の俳句は表していると感じました。「小学校生活がとても楽しい」という今の率直な気持ちと、その理由となる本読みの喜びをよくぞ17文字に凝縮できたなと感心しました。

学校の音読をこのように心から楽しいと思える子どもたちは、やがて図書館で本を読む経験を味わう中で、「世の中にこんなに幸せなことがあっていいのだろうか」と思えると確信します。

Fumikaちゃんにかぎらず、本園では年長になると一年を通じて数多くの俳句の素読と暗唱を繰り返します。歩いての通園と同じく、大人の目にはたいへんにみえても、子どもたちはそれをちっとも苦労と感じる気配を見せません。一歩一歩歩くうちに気づけば山の上に到達しているように、俳句の時間を毎回俳句の朗誦を繰り返すうちに、じつに多くの作品を暗記することが結果としてできています。この時期の子どもたちはまるで吸い取り紙のようになんでも覚え、何でも吸収します。

同じ覚えるなら後々本当の意味で役に立つものを覚えてほしいという願いをこめて初代園長が俳句の素読の時間を設けましたが、Fumikaちゃんの俳句に目を細めていると思いました。

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